2016年2月11日木曜日

報酬系と心(5)

ところでこのテーマについて論じる上で、とても興味深い説を唱えている人がいる。「ウィリアム・フォン・ヒッペルと進化生物学者ロバート・トリヴァースによれば、自己欺瞞の能力は他人にそれと見破られる可能性を排除するために進化したという。」(意識と無意識のあいだ マイケル・コーバリス著、鍛原多惠子訳 講談社ブルーバックス 1915年)。

わかりやすく言えばこんなことだ。人は嘘をつくとき、それを嘘と知っている場合にはそれが態度に出てしまう。だからそれを信じ込むことが適応的というわけだ。ある人が真実と異なることを主張したとしよう。それが虚偽であることは誰の目にも明らかである。しかしその人にとってはいつの間にか、それが真実と感じられてしまう。おそらく人は真実と信じることを語ることに快感を覚えるのであろう。自己一致は快感に通じているのだ。おそらくは虚偽を真実に変えてしまうことが快感原則に一番一致しているのである。そしておそらく虚偽を真実に摩り替えることは、脳科学的にはさほど難しいことではないのだろう。だから・・・エリザベス・ロフタスは、見たはずのない母親の死体の様子をまざまざと回想することが出来、ジャン・ピアジェは4歳の頃目の前で暴行を受けた乳母の顔を思い出すことが出来(後に乳母の狂言だとわかった)、ヒラリー・クリントンはボスニアを訪問したときに狙撃を受けそうになったという記憶について語る(実際にはそのような事実はなかった)のである。(すべて上述の書に書かれている例。)