ある体験が報酬系を刺激して快感を生み出す重要な条件がある。それは過去の体験の反復と新奇さの微妙なバランスである。例をあげよう。私たちはよほど音楽的な才能に恵まれていない限りは、初めて聞く楽曲に心を動かされることは少ない。たいてい何度か聞いて、サビの部分のメロディーを覚え始めるあたりから、その曲が気になるようになる。楽曲はおそらく20~30回くらい聞いたころが旬になる。一番感動する時期だ。涙を流すこともある。このころは、曲が半ば頭に再生可能で、しかし細かい部分はまだ不確定な状態だ。つまり十分に慣れてはいずに、その曲の新奇さが残っている状態だ。そのうち聞き飽き始める。かなり聞き飽きそうになったら、半年くらい「寝かせておく」とまた感動がよみがえってくる。しかし再び聞いても、飽きるのも早くなってくる。ということで私は好きな曲はなるべく聞かないようにしているのが得策だ(?!)。
ちなみにこんな内容を、去年の春、NHKのFM番組に北山修先生に呼んでいただいた時に話した。その流れを追ってもう少し書くと・・・・
ところで曲を好きになることと、恋愛とは似ている。親しみが増し、でも慣れ切っていないような相手が一番「好きな」相手なのだ。ただし好きな相手の場合、飽きないように何年も「寝かせておく」わけにはいかない。相手も古くなるし、こちらも古くなるからだ・・・・。
とにかく慣れと新奇さのバランス、である。言い方を変えれば、全く自分の血肉化して、新鮮さのないものは、私たちを惹き付けることはない。完全に知ってしまえばおしまい、ということだ。これは人に当てはまるだろうか?性的な意味ではそうかもしれない。しかし人間として、という意味であれば異なる。人は毎日姿を変え、新鮮でいられることができるからである。