2011年12月24日土曜日

裏表のある子 (3)

「関係精神分析」に書いた文章をここに書き写す。
「ミラーニューロンの発見は、たとえばアメリカの神経学者ラマチャンドランに言わせれば、ちょうど生物学におけるDNAの発見に相当するようなインパクトを心理の世界に及ぼしたということである。発端はイタリアのパルマ大学のリゾラッティのグループの研究である。彼のグループ、すなわちリゾラッティ、フォガッシ、ガレーゼの三人の共同研究者は 90年代に、マカクサルの脳の運動前野のニューロンに電極を刺してさまざまな実験を行った。まず運動前野の特定の細胞が興奮から始まる。そこでは運動の計画を立て、そこから運動野に命令が伝えられ、運動野は体の各部の筋肉に直接信号を送り込むことで、初めて筋肉が動くという仕組みである。

たとえばサルがピーナッツを手でつかむ際は、先に運動前野の細胞が興奮して、その信号を手の筋肉を動かす運動野に伝えるという事を行なっている。このように運動前野の興奮は、単に自分の運動をつかさどるものと思われていたわけだったが、それが違ったのだ。他のサルがピーナッツをつかんでいるのを見たときも、そのサルの運動前野の特定の細胞は興奮する事が分かったからである。つまりその細胞は他のサルの運動を自分の頭でモニターし、あたかも自分がやっているかのごとく心のスクリーンに映し出しているということで、ミラーニューロンと名づけられたのである。
目の前の誰かの動きを見て自分でそれをしていることを思い浮かべる、ということはたいしたことではない、と考えるかもしれない。しかしこの発見は、心の働きについてのいくつかの重大な可能性を示唆していたといえる。それは人が他人の心をわかるということは、単に想像し、知的な推論だけでわかるというよりも、もっと直接的であり、自動的な、無意識的なものであろうということだ。何しろサルでも出来るのだから。また一部の鳥でも同様のニューロンが見つかったとのことである。 (中略)ちなみにこの運動前野と運動野の興奮は、通常はペアになっていると考えることができるだろう。鼻歌を歌ったり、独りごとを言ったりすることからわかるとおり、私たちは人が見ていないときは、イメージすることをそのまま行動に移すことが少なくない。しかし場合によっては行動に移すことが危険であったり、あるいは社会的に不適切だったりし、その場合は運動前野のみの興奮となる」(「関係精神分析入門」岩崎学術出版社、2011年より)。
さてミラーニューロンの話はこのくらいにして裏表のある子供の話にもどる。親の前ではいい子、陰では兄弟をいじめたり、言いつけを守らなかったりする子供。子供はどうやってそのような方便を身につけるのだろうか?こう問うと、私のこのエッセイは最初から間違った方向に踏み出していることに気がつくだろう。子供が裏表を持つということはむしろ達成であり、贅沢な悩みであり、むしろそうなれないところに病理がある。少なくとも解離性障害の子供の場合はそうだ。
親の前でいい子でいることは、親の側の次のようなメッセージで始まるだろう。「あなたはいい子でいなさいよ。それがあなたにとっても私にとっても大切なことだから。」そして親の心には、いい子であるわが子のイメージが浮かぶ。「お姉ちゃんなんだから、弟をいじめたりしてはだめよ。敏感な娘は、母親の心にある、いい子である自分をイメージする。そして自動的にミラーニューロンが働いている。自分はいい子なんだ。傍らにいる泣いていている弟をいとおしく感じる。優しく頭をなでて「お姉ちゃん」ぶりを示して見せる・・・。