娘はこうして、いいお姉ちゃんとしての自分を体現する。脳は弟へのいとおしさと優しいしぐさ、そしていい姉としての自分の記憶を結びつける。神経科学には昔からHebb則といわれるものがある。Cells that fire together, wire together." 語呂がいい言葉だが要するに、最初は偶発的な形で同時に興奮した神経細胞同士はその後も同時に興奮するように配線(wire)され、ひとつの神経細胞群を作るということだ。いい姉としての振る舞いは弟へのいとおしさを伴い、それとしては本物なのだ。しかし問題はそれが母親の前、という状況でしか発現しないということだ。その興奮は自然な形では持続しない。それはそうだろう。普通は憎たらしい弟に意地悪をしたいとうずうずしているのであり、弟への嫌悪―意地悪な目―意地悪なしぐさ系の神経細胞群のほうがより興奮しやすいからだ。まとめると「意地悪な姉」系細胞群はより興奮しやすく、「いいお姉ちゃん」系細胞群は条件付で、一時的にしか興奮しない。これが健全な裏表のある子、というわけである。
解離傾向の強い子供の場合はどうか?「意地悪な姉」系細胞群と「いいお姉ちゃん」系細胞群はそれぞれが無条件に興奮する細胞群として共存する。ただし完全に無条件かといえばそうではなく、それぞれの興奮が生じるようなきっかけは存在するのだろう。しかしたとえば「いいお姉ちゃん」系細胞群は、母親がいなくても発揮されうる。場合によってはそちらのほうが、それまで優勢だった「意地悪……」に取って代わることだってある。どうしてそのようなことがおきるのだろうか?私の仮説としては彼女たちは特別に感度の高いミラーニューロンを備えているからだろうと思う。ミラーニューロンといってもさまざまなものがある。他者の感情体験をミラーするもの、運動をミラーするもの、言語活動をミラーするもの。それぞれが各人において異なる感度を有するだろう。たとえば言語活動にまつわるミラーニューロンがとりわけ優れていると多言語を習得することができるだろう。とすると多重人格を有する人は、いわば人格に関するpolyglot(多言語習得者) といえるのではないか?