身体科からの歩み寄り―「MUS」の登場
ところでFNDについては最近新しい動きが見られる事にも言及しておきたい。それはこれまで精神科医は患者の身体症状についてその扱いに戸惑っていたが、その一部に脳神経内科を含めた身体科からの名称が与えられるようになったことである。それらは線維筋痛症であり、PNESであり、FNSである。それらを総称するならば、それはいわゆる「MUS」、すなわち「医学的に説明できない障害 medically unexplained disorder」である。(岡野(2025)脳から見えるトラウマ.岩崎学術出版社)
ちなみにこのMUSという疾患群は最近になって精神医学の世界でも耳にするようになったが、取り立てて新しい疾患とは言えない。というよりその言葉の定義からして、そこに属するべき疾患群は、それこそ医学が生まれた時から存在したはずである。そして身体医学の側にとってはMUSはそれをいかに扱うべきかについて、常に悩ましい存在であり、それは現在においても同様であるといえよう。結局MUSに分類される患者は「心因性の不可解な身体症状を示す人々」として精神医学で扱われる運命にあったのだ。そしてそれは昔のヒステリーと同類だと考えられる。
ここで「半ば医学的な概念」と表現をしたが、それはヒステリーは本当の医学的な疾患とは言えないようなもの、すなわち患者が自作自演で症状を生み出したもの、周囲の気を引くために症状を誇張しているものというニュアンスを有していたからである。つまりその症状は本人の心によって作られたようなところがあって、そこには疾病利得が存在するという考え方が支配的であった。言い換えればそれは病気であってそうでないようなもの、という中途半端な理解のされ方をしていたのである。そしてその意味ではヒステリーと呼ばれる患者たちは常に差別や偏見を向けられる傾向にあったのだ。
幸いDSM-Ⅲ(1980)以降はヒステリーという名前が診断基準から消え、その多くの部分が転換性障害や解離性障害ないしは身体化障害という疾患概念に掬い上げられ、患者が差別や偏見を向けられる度合いは多少なりとも軽減したことはすでに述べた。
ここでMUSに属するものについて比較的わかりやすく図に示したものをここに示そう。これはとある学術書(Creed, Henningsen, Fink eds, 2011)これを見るとMUSという大きな楕円の中に身体表現性障害と転換性障害の集合が含み込まれ、また器質性疾患の集合はMUSと一部交わっているという関係が示される(図の斜線部分)。
ここで身体表現性障害とは、少なくとも従来の考え方によれば、心理的な要因が身体の症状により表現された疾患という意味であり、転換性障害とは、心理的な要因が感覚機能や随意運動に表現されたものと考えられてきた。(ちなみにこの元になった図が作成された時に用いられていたDSM-IV(1994)では身体表現性障害の中に身体化障害と転換性障害が含みこまれるという形をとっている。)
また器質性疾患に関しては、ある種の器質性の変化や病変が見られるものの、それだけでは十分に説明できないものがこのMUSとの共通集合(灰色の部分)を作っているという事情を表している。
この図からわかるように、MUSは身体表現性障害と転換性障害及び器質性障害の一部を含み込んでいるものの、それ以外の余白部分を含むさらに広い範囲に及ぶ。つまり様々な症状を示しつつ医学的な診断が下らず、これらの3つのいずれにも診断されない多くのものがこのMUSには含まれることになるのだ。それはちょうどかつてヒステリーと呼ばれていたものがきわめて多くの異種の精神疾患を含んでいた事と同様である。別所で私はそれらの内の幾つかの代表的なものについて以下に挙げて論じた。
● いわゆる「転換性障害」(機能性神経学的症状症、FND)
● ME/CFS (筋痛性脳脊髄炎)
● FM(線維筋痛症)
● Yips または局所性ジストニア
● PNES(心因性非癲癇性痙攣) これは昔偽性転換などと呼ばれていたものです。
このMUSに関心が集まった理由の一つには脳神経内科の外来にはFNDを有する患者がかなり含まれるという事情がある。 実際には脳神経科の外来や入院患者の5~15%を占めるといわれる。またFND は癲癇重積発作を疑われて救急を受診した患者の50%を占め、脳卒中を疑われて入院した患者の8%を占めるという(Stone, 2024)。そのため脳神経科でもFNDを扱わざるを得なくなっている。そしてそれ以外の身体科、例えば眼科、耳鼻咽喉科、整形外科などにも同様のことがいえる。つまり精神科医以外の医師たちがいかに機能性の疾患を扱うかというのは従来より大きな問題だったのである。
また先ほどFNDは陰性所見ではなく所見の存在(陽性所見)により定義されるようになったという事情を述べたが、実際に脳神経内科には Hoover テストのように、ある所見の存在がFNDの診断の決め手となるような検査法が知られていることも追い風になっている。
しかしここで興味深いことも起きている。というのも最近神経内科の側からは、「FNDの診断には精神科医は必要ない」という声も聞かれるからである。
Stone, J. et al. (2014) Functional disorders in the Neurology section of ICD-11. Neurology, ;83;2299-2301.
Stone, J. et al. (2024) Functional neurological disorder: defying dualism. World Psychiatry. 2:1