さてヒステリーに関する精神医学の歴史をひも解く、ということになるが、これを純粋に精神医学の歴史上のあり方として切り分けることは簡単ではない。というのも昔から精神科と神経内科 (neurology、最近では脳神経内科という表現が一般的) は混然一体になっていた。ちょうどヒステリーについて現代的な医学の立場から唱え始めたシャルコーは神経学者だし、それを引き継いだフロイトやジャネは精神科医だったが、フロイトは元々は神経解剖学者だったという風にである。さらには病理学者(解剖をして顕微鏡で調べる学者)と臨床医の区別も漠然としていた。
さらに問題となるのは、シャルコーやフロイト以前に「精神医学」が本来あるべき姿として存在したのか、という点である。よく知られているように、ヒステリーは子宮遊走によるという説が、ギリシャ時代からあったとされるが、これはそもそも「学問」的な理解なのかということも疑わしくなる。
ヒステリーは人類の歴史のかなり早期から存在していた可能性がある。その古さはおそらくメランコリーなどと肩を並べるといってもいい。ヒステリーに関する記載はすでに古代エジプトの時代すなわち紀元前2000年ごろには存在していたとされるのだ。
紀元前5世紀には古代ギリシャの医聖ヒポクラテスがヒステリーを子宮の病として記載している。そもそもギリシャ語の「ヒステラ」(Gk. Hystera)は「子宮」を意味することは広く知られている。かの哲学者プラトンもまた、ヒステリーについて次のように記載している。「子宮は体の中をさまようことで、行く先々で問題を起こす。特に子宮が丸まって胸や器官に詰まってしまった場合は、それが喘ぎや息苦しさを引き起こす。」「この病は子宮の血液や汚物の鬱滞のせいであり、それは男性の精巣から精子を洗い出すのと同じようにして洗い流さなくてはならない。」(Maines, 1998, p.24)
同じく古代ギリシャの医学者のガレノスは、紀元一世紀になりヒステリーについての理論を集大成した。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられ、結婚している女性に時折見られることから、情熱的な女性が性的に充足されない場合に引き起こされるものであるとされた。ヒステリーのこのような扱われ方は、主としてヒステリーの持つドラマティックな身体症状が人々の注目を集めていたからであると考えられる。「子宮が体中を動き回る」ことによって引き起こされていたのは、主として身体面の様々な症状だったのである。
Maines, R.P. (1998). The Technology of Orgasm: "Hysteria", the Vibrator, and Women's Sexual Satisfaction. Baltimore: The Johns Hopkins University Press
岡野憲一郎(2011)続・解離性障害 岩崎学術出版社
ガレノスは非常に具体的な治療法について書いている。それによると治療とは既婚女性は性交渉を多く持つこと、そして独身女性は結婚すること、それ以外は性器への「マッサージ」を施すこと(これは今で言う性感マッサージということになるのだろう)と記載されている。驚くことにこの治療法がそれから二十世紀近くまで、すなわちシャルコーの出現まではヒステリーの治療のスタンダードとされるのだ(Lamberty, 2007))。にわかには信じがたい話である。
Lamberty, G.J.(2007) Understanding somatization in the practice of clinical neuropsychology. Oxford University Press.
このヒステリーに関する理論の中で特に興味深いのが、男性との性交がその症状を軽減する、という考え方である。再び好著「オーガスムのテクノロジー」の記載から17世紀の医学者による同様の記載も引用しよう。
今の時代からはとても考えられないことではあるが、当時はそれがまことしやかに考えられていたのだ。そして私はそこには男性の側のファンタジーが明白な形で介在している可能性があると考える。つまり「女性は常に男性との性的なかかわりを望んでいる」という男性の側の願望ないしは論理が、結果的にヒステリーに関するこのような間違った観念を存続させていたとも考えられるのではないか?
ちなみにこれから検討するフロイトの理論がしばしばさらされていた批判、すなわちあまりに性欲説に傾いているという批判も、実はヒステリーに関して長く信じられていた理論を考えればある程度納得できるものではないかと思われる。たとえばフロイトが治療した症例ドラ(Freud, 1905)は、後にフロイトの不適切なかかわりについて批判される際にしばしば用いられるケースとなった。特にフロイトがドラに関して下した判断、すなわち彼女が実はMr.Kに対して向けていた性的な願望を抑圧していたためにそれがヒステリー症状に表れていたという下りは不興を買っている。しかしこのような考えは、実はヒステリーに関して十数世紀にわたって信じられてきたことを図らずも踏襲した理論に過ぎなかったともいえるのである。つまりはフロイトだけがとんでもなく極端というわけでもなかったのだ。
さて話の順番としてはここからシャルコーの話になるわけだが、シャルコーについて振り返っておくことは、それに引き続いて起きたジャネとフロイトの因縁の対立を理解する上で必要となる。ある意味ではジャネとフロイトという二人の人間のすれ違いが、そのまま精神分析と解離理論とのすれ違いの原因となったとも考えられるのだ。またそれが心理学にそれだけの幅と深みを与えた、と考えることもできるかもしれない。そこでこれを探ってみたいと思う。