2025年8月27日水曜日

男性の性愛性の問題 推敲 5

 ② インセンティブ感作理論

 男性性のもう一つの問題は、その性的な欲求は、それが楽しさや心地よさを得ることで充足されるとは必ずしも言えないということである。むしろそれが今この瞬間にまだ満たされていないことの苦痛(すなわち一種の飢餓感)が、男性を性行動に駆り立てるという性質を有する。身も蓋もない言い方であるが、男性の性愛欲求の達成は「排泄」に似た性質を有するのだ。
 このような性質をもう少し学問的に表現するならば、男性の性的満足の機序は、嗜癖モデルに似ていると言える。さらに詳しくは、いわゆる incentive sensitization model (ISM)(インセンティブ感作理論,Berridge & Robinson, 2011)に従ったものとして理解をすることが出来る。このモデルは次のように言い表される。

 嗜癖行動においては、人は liking (心地よく感じること)よりも wanting (渇望すること)に突き動かされる。つまりそれが満たされることで得られる心地よさは僅かでありながら、現在満たされていないことの苦痛ばかりが増す。これが渇望の正体であり、これは一種の強迫に近くなる。
 男性の性愛性もこの嗜癖に近く、ある種の性的な刺激が与えられると、性的ファンタジーが湧き、このwanting だけが過剰に増大する。しかし通常はそれを即座に満たす手段がないために、それを抑制するための甚大なエネルギーを注がなくてはならないのだ。

 Frederick Toates  という学者はこのISMモデルを特に男性の性愛性と結びつけて論じている。 Toates, F (2022) A motivation model of sex addiction(性嗜癖の動機づけモデル)が彼の代表的な論文である。しかし彼はドーパミンのみならずグルタミン酸の関与を論じることで、実は問題は側坐核に留まらないことを示している。グルタミン酸のシステムが狂うことは、前頭葉そのものの機能を阻害しているということになるのだ。そしてドーパミンとグルタミン酸の相互作用こそが、行動の維持や条件づけを支えている( — Toates (2022, p. 9あたり) つまり、ドーパミンだけでは「習慣化された行動パターン(compulsive behaviour)」は説明しきれないと見ていて、 グルタミン酸が「cue-triggered wanting」の神経基盤として重要であることを認めている。Toatesによればグルタミン酸系は主に以下のような役割を果たしていると読める:

前頭前皮質(PFC)からのトップダウン制御に関与 → いわゆるSystem 2(理性的抑制)の機能低下にも関連している。

扁桃体や側坐核などでの「cueの学習・意味づけ」に寄与 → ポルノや記号刺激に対する条件づけの強化

過学習された性的衝動の再活性化(=トリガー)→ 外部刺激によって自動的に活性化される神経回路の強化
要するに、一度条件づけられた「性的なcueと快感の連合」が、グルタミン酸経路によって再活性化・固定化される、という構図なのだ。なぜこの問題が重要かと言えば、グルタミン酸の関与を取り入れることで、Toatesのモデルは「快楽を求める衝動(dopaminergic)」だけでなく、 「学習された記憶・意味の回路(glutamatergic)」という時間的持続性を説明できるようになる。つまりこう言えるという。 ドーパミンは「瞬間の火」であるがグルタミン酸は「記憶された薪」である。つまり衝動を燃え上がらせるのはドーパミンであってもその燃料を蓄積・再点火するのはグルタミン酸だというわけである。


Toates によれば、これらの仕組みによって人間に起きていることは、このSystem 1の暴走とSystem 2の失調のギャップであるとする。これが彼の「二重過程モデル(Dual Process Model」である。Toatesは「快楽」や「行動衝動」がどのようにして生じるかを、「二つのプロセス」で説明する。

● System 1(自動的・感覚的・衝動的)
→ たとえば、ポルノ画像や誘惑的な刺激を見たとき、無意識的に身体が反応してしまう。
● System 2(制御的・理性的・抑制的)
  → 「これはまずい」「これ以上やめておこう」と判断し、衝動を抑えようとする。

性嗜癖の本質は、このSystem 1の暴走とSystem 2の失調のギャップにあるとToatesは考えている。これを言い換えれば、「男性はデフォルトが性的満足を得ることを我慢している存在」ということになる。つまりは酒に酔ったり、交通事故などで前頭葉が破壊された場合には、簡単に system 1 に支配されてしまうことになる。これは男性のどうしようもなさを、見事に示していることになる。1の暴走に関しては、いったん引き金が引かれるとドーパミン系とグルタミン酸系が発動し,「鮭の遡上」反応が始まる。これ自体はポジティブフィードバックシステムの発動であり、身もふたもない言い方をすればファンタジー先行、対象不在なのである。いやファンタジーすら不在かもしれない。何しろグルタミン系は、「過学習された性的衝動の再活性化(=トリガー)→ 外部刺激によって自動的に活性化される神経回路の強化」だから壊れたレコードのように再生を繰り返すだけなのである。男性のどうしようもなさとはつまり、この二重過程モデルがまさしく言い当てているということになる。