2025年7月24日木曜日

対談を終えて 2 

  しかし「一見普通の男性の豹変」を回避し、再発を防止する方法は決して単純ではない。通常の危険行為に関しては、危険な場所、危険な人との接触を避けることに尽きる。しかし「一見普通の男性」を回避することは決して容易ではない。何しろそれは職場の上司や同僚として、指導教官や部活の先輩として、それこそ身の回りのいたるところにいるのだ。それらの人々との接触を避けるとしたら、それこそ学生生活や社会生活を満足に送ることが出来なくなってしまうだろう。だから回避のためにはそれらの男性がどこかでスイッチが入るタイミングを見きわめるということになるだろうか。
 さて「一見普通の男性の豹変」の問題、すなわち「一見普通の男性が起こす性加害」または「非犯罪性格の男性の犯す性加害」について改めて論じるわけだが、おそらくこれがなかなか理論的に整理されないのは、それがある意味では非病理学的な、よくある、普通の現象としてとらえられているからであろう。それはそれらの事件が彼らの理性や道徳心が奪われるという形で生じるという特徴である。「一見普通の男性が起こす性加害」とは要するに「性加害者は通常の理性を備えた男性が、それを一時的に失う形で生じることが多い」ということを意味しているのだ。
 そして私たちは同様に理性を失う形で行動を起こしてしまう例を知っている。それは例えばギャンブル依存であり、アルコール中毒やそのほかの薬物中毒である。これらは嗜癖、あるいは行動嗜癖と呼ばれる。そしてそれと同様に「一見普通の男性が起こす性加害」の問題は、男性の性愛性の持つ嗜癖としての性質ということである。
 しかしここで私たちは一つの疑問に突き当たる。コカイン依存やギャンブル依存は、それを精神疾患として有しない人には問題行動を起こさせない。コカインを一度も吸ったことがない人は、目の前にビニール袋に入った白い粉を置かれても、何も感じず、何の衝動も起こさないだろう。自分のポケットに数千円の現金を所持していても、別にどうってことはない。ストローか何かで目の前の白い粉を吸わずにはいられなかったり、現金を手にするといてもたってもいられずにパチンコ屋に向かってしまう人は、間違いなく薬物依存やギャンブル依存という病的な状態にある。そしてあるきっかけ(目の前の白い粉、ポケットの中の数千円)で猛烈に特定の行動を起こす動因が生まれる。まさにこの強い動因、すなわち渇望がその人の有する病気なわけである。
 しかしよく聞かれる性加害はどうか。ごく普通の(と周囲からも思われる)その男性はとくべつ強い性欲を有しているというわけではないだろう。若い女性の姿を見て「ムラムラした」ということは男性にとっての性欲は、最初から依存症的な性質を有しているということになる。
 ところで人間が通常有する生理的な欲求に本来的に依存症的な性質が備わっていることなど、他に例があるだろうか。例えば食欲はどうだろう? 極端な飢餓状態ではそれこそ地面を這っている虫さえも食べてしまうということがあるという。しかしこれはよほどの極限状態であろう。 ということで男性の性愛性の依存症的な性質を説明するために二つのモデルを取り上げようとしているのである。