この論考ももう最終段階にきている。
結論:現代的な視座から見た「週一回」について
最後に現代的な視座から見た「週一回」についての総合的な論述を行う。
第一章では、我が国の「週一回」に関する「コンセンサス」すなわち「週一回では、治癒機序としての転移解釈を用いる治療は難しい」に関して、二つの問題点を指摘した。第一点目は、この線引きが恣意的である可能性である。そして第2点目は、この「コンセンサス」が 一世紀近く前に提唱された Strachey の提言を現代まで持ち越している点である。さらに第二章では我が国の「コンセンサス」に見られる治療頻度や治癒機序に関する議論が、海外における現代の文献ではどのように扱われているかについての検討を行った。
そのうえで改めて第一章で掲げた二つの問題点について検討を加えよう。まず第1点の「週一回」か「週4回以上」という点は、欧米圏での議論の傾向としては対立軸と見なされるような厳密な区分は見られない。そこには精神分析と精神分析的精神療法はたがいに類似のものであり、それらが一つの「精神分析的な様式の治療」(Kernberg)としてとらえられる傾向が見られる。そこを貫くのは治療者の介入の表出的―支持的連続体の概念であり、そのどちらの極により相対的に近いかということで両者が区別されるという考え方である。すなわち週一回の治療は解釈的なアプローチは相対的にあまり用いられないことになるが、それは我が国の「コンセンサス」に見られる「週一回」を分析的とみなさないという排他的な姿勢とは異なるのである。
(以下略)