2025年4月26日土曜日

遊びと愛着 5

 さて当然人間の行動について知りたいのであるが、実はこれが結構微妙なのだ。つまりじゃれ合いが暴力を抑止するのかということについてはむしろ暴力に結びついているという研究がみられるのである。これをどう理解したらいいのか。それが以下の二つだ。

Veiga, G., O’Connor, R., Neto, C., & Rieffe, C. (2020). Rough-and-tumble play and the regulation of aggression in preschoolers. Early Child Development and Care, 192(6), 980–992. 

Veiga の論文によると、以前はじゃれ合いは攻撃性の制御に結びつくと言われていた時期もあったという。しかし最近の研究では、就学前の子供の攻撃性のコントロールの問題は重要だが、じゃれ合いがこれにポジティブな影響を与えているか、それともネガティブなのかは議論が多いという。そして彼らの研究では4~7歳の少年少女に関して言えば、家でも学校でもじゃれ合いは感情のコントロールとマイナスの相関があったという。また父親とのじゃれ合いでネガティブな感情の表出はやはりネガティブな相関があったという。そしてじゃれ合いが長ければ長いほど、情動調節は悪かったという。  私はこれらの見解は分かる気がするが、一つ不明なのは、ネガティブな感情が多く表出されるほど攻撃性のコントロールがなされないという所見だ。そもそもじゃれ合いでネガティブな感情は普通は体験されないはずである。どんなじゃれ合いを彼らは観察していたのだろう。 この研究を読みながら、私は一つの考えを持った。よく手の付けられなかった不良がボクシングや空手を学び、素行が良好になり、身を持ち直したという例を聞く。これなどは不良同士の喧嘩→ボクシングや空手を通じての、上級者優勢の「じゃれ合い」(スパーリング、組手)→ 自身が上級者になる過程での攻撃性のコントロールというのと似ていないか。そしてボクシングの試合、空手の組手などは、実は攻撃性とは程遠いということをご存じだろうか。ボクサー同士の仲は、軽量の際に最悪なように思える。お互いにどつき合いが発生したりする。ところが試合後はたいていは闘争心を捨てて抱擁し合うのである。このように考えると試合や組手はじゃれ合いに似ている、という仮説が浮かび上がってくるのだ。(私の妄想かもしれない)。