2025年1月29日水曜日

統合論と「解離能」 19

ということで、私はこの論考の冒頭でも紹介したある当事者の主張に戻りたい。 「解離は精神疾患であると同時に、サバイバルするための力でもある。」(p.1085)「解離が出来たからこそ生きのびることが出来たのであれば、それは能力であり、ゼロにしてしまう必要はないはずです。」(p.1085) これは解離とともに生きている当事者が持つ実感であろう。しかも Richardson の主張とも共通するが、 彼らは解離を健全なものであると主張しているわけではない。これは適応的に働く場合もあれば、それがうまく働かなくなる場合もある、一つの機能なのである。それは例えば心臓が血液を全身に拍出するという機能を有するものの、その機能が働かなくなる状態(すなわち心不全)にもなりうるような存在であるのと似ている。さらに言えば、解離という機能は実は私たちの中枢神経系でどのような働きをしているかの詳細はおそらくわかっていないのだ。ひょっとしたら私たちが抑圧とか抑制とか、否認などと呼んでいる働きはある特殊な形の解離である可能性すらあると私は考えている。

中島幸子(2024)「解離は障害でもあり、力でもある」    精神医学66巻8号pp. 1085-1089. 

解離において別人格の存在をどのように認識するかについては難しい問題だが、やはり結局は「他者」ということに行きついてしまう。何度も出した野口五郎さんの例は今回は控えるが、自分の中でもう一人の自分と出会うことである種の衝撃を受けるとしたら、そのもう一人の自分は十分に異質的な存在でなくてはならないだろう。自分の中で知らなかった自分に出会う、とは実は治癒機序にしっかり組み込まれているのかもしれないと考える。治療者によるミラリングにより照らし返された自分はもう一人の自分、ということかもしれない。

(以下略)