2025年1月23日木曜日

統合論と「解離能」 13

 ポールセンは基本的には過去の解離に関する論者の説を援用して治療論の解説を進める。その中にはベネット・ブラウンの有名なBASKモデルも登場する。このモデルは、正常な記憶ではこのB(行動)A(感情)S(感覚)K(知識)という4つの要素がつながり、統合されたものと考える。トラウマ記憶とはこれらが解離した状態であるというものだ(BG Braun,1988)。そしてトラウマ記憶を処理するとは、これらがつなぎ合わされ、一つの正常なエピソード記憶に戻すということになる。(それらしき挿絵もある。4つの様式をミシンで繋ぎ合わせている様子が描かれている。)それを両側刺激(EMDR)により行う。要するに過去のトラウマ記憶を一つ一つつなぎ合わせる作業をせっせと行うのである。

このテキストの大部分がその作業の手順の説明に費やされるが、肝心の統合に関する記述はテキストでは僅か数ページに過ぎない。

「治療の目標は、解離性健忘がないまま、同時にかつ正常に機能する自我状態システム、ないし神経ネットワークを作ることです。」(p.249)

EMDRは本質的に結合を促すものです。従ってクライエントがEMDRを受けると、それまで分断されて未処理だった一連の神経系統の集まりが統合されていきます。これは自然なことだと言えるでしょう。」(p.249)

「[トラウマが処理されれば]解離によって防衛の必要がなくなり障壁は痕跡に過ぎなくなります。」(p.249)

特にこのEMDRは本質的に結合を促すものです。」という主張に注目していただきたい。ここには催眠やそれに由来するEMDRの考え方の一つの典型が現れている。それはある種の操作により精神の改変を促すという発想であり、これはEMDRが治癒を促すプロセスを理論的に説明する考え方である。それはある種の行動療法的な、ないしは生物学的なアプローチというニュアンスがあると感じるのは私だけであろうか。

BASKモデルに従って次々とトラウマが処理されて、最後にポニーとキムが残る場面である。

統合のプロセスでポニー自身はもう分離した人格でいる必要はないと感じていて、キムと統合されたがっていることが分かった。キムも賛成だと言った。その後解離障壁を残しておいた方がよいと思われるようなトラウマ記憶が残っていないか入念に確認してから、両側性刺激を行なって、残った解離障壁を取り除くことになった。キムとポニーの準備が出来ると、私は「キムとポニーが自分の目を通して外界を見ています、壁が崩れます、壁が崩れるよ‥・・・」と言いながら、両側性刺激を何セットか行った。(p.250)

「『どうですか?』と私が尋ねると、キムは『変な気分です、両手がピリピリしています。』と答えた。『その感覚に注目していてください』 と私は言ってそのままもう何セットか両側性刺激を続け、確認に入った。『ポニー?』するとキムは『ポニーはもう分離していません。私の中にいます』 と返事をして笑った。それは私が知っているポニーの笑い方と同じだったが、それも今やキムの特徴として統合されたのだ。」(p.250)


私はここにかなりの操作性を感じる。統合ありき、というか、一つになることを最優先しているというか。最後に残ったキムはそれほど積極的に全体への統合を望むものだろうか?