2024年12月9日月曜日

「メンタライゼーションと遊ぼう」書評 1

 本書は池田暁史氏のメンタライゼーションに関する二冊目の書である。題名はメンタライゼーションと遊ぶ、となっているがとても遊んで読むことのできない内容の濃い書である。(~と遊ぶ、という意味については本書の中で解説されている。)本書で著者はメンタライゼーションという新しい流れが、精神分析の本流から発していること、しかし発達論やトラウマと言った新しい流れに向かっていることについて、第3者的に語っていることに印象付けられる。フォナギーたちがどの様な戦略を用いて自分たちの理論を精神分析のメインストリームに受け入れ可能な形にしたのかについての解説も興味深い。メンタライゼーション自体が、現代の関係精神分析の流れと歩調を合わせていることがより実感される内容であるが、そうまとめたら池田氏は異議を唱えるだろうか。本書の重要な論点の一つは、メンタライゼーションが「無意識を扱わない」という問題に向けられている。しかし記述的な無意識はしっかり扱っているのだと反論する。これは私自身も大いに納得する。フロイト的な力動的な無意識はどんどん影が薄くなっていることを池田氏も認める。精神分析においても心についての理論は、発掘学的モデルがより不可知論的、創発的な流れに舵を切ったことを意味する。つまりは心のあり方に対するパラダイムシフトが関連しているのだ。え、これで1200字中もう550字!!!