2024年10月5日土曜日

統合論と「解離能」推敲1

 DIDにおける統合とは何か。実はこの統合という言葉の定義は曖昧だが、かつてはこれがDIDの治療において目指すべきものかについては、確かなことである。しかしおそらく人の心理的な機能は正常な統合 normal integration を有しているというのがその発端であろう。すると解離はその反対すなわち統合integration  ⇔ disintegration 解体=dissociation 解離 となる。そしてその治癒はすなわち正常な統合の回復、ということになろう。このことは例えばDSM-5-TRによる解離の定義にも表現されている。「解離症群の特徴は、意識、記憶、同一性、情動、知覚、身体表象、運動制御、行動の正常な統合における破綻および/または不連続である。」 このことは理屈としてはわかるが、同じロジックをDIDに当てはめることには問題があろう。DIDにおいて何処がこの定義に当てはまるかと言えば、しいて言えば、「同一性の正常な統合における破綻および/または不連続」ということになるだろうが、例えば人格Aと人格Bはそれぞれこの統合は達成できていることが多い。つまり正確にはこの定義を満たしているわけではないと私は考える。問題は統合体が複数、それも不連続的に存在するということである。 この問題については私はかつてある成書に交代人格は自我障害を有しているか、というテーマで書いたことがあるが、実際に各人格は「正常」であることが多い。 しかしそれにもかかわらずDIDにおいても統合が成立していないことが問題で、すなわち治療とは正常な統合に至ることだというロジックがかなり長い間受け継がれてきたのであろう。