このブログはエントリーから公開までに一週間のずれを作ってあるので、今日の話は10月14日に行われた「学際ワークショップ」に参加した後の感想である。(ちなみに以下は使用したスライドである。)
4時間の枠に3人の発表、私の討論ということで時間が余るのではないかと思ったが、むしろ足りないくらいだった。実際は渡辺先生、加藤先生は一時間近くの時間をお使いになり、久保田先生は制限時間内、そこで休憩して65分の時間枠でまず私の討論となったが、藤山先生に時間超過で途中で止められそうになった。「もう25分経っているよ、いい加減に切り上げて!」というわけだ。聞くと3人の発表に対する討論者としての私は20分しか与えられていなかった(しかもそれをあらかじめ伝えらていれなかった。各人が40分枠、という指定しかなされていなかったのだ。)そこでそそくさと討論を終わらせたが、私の言いたいことはあまり言えなかったことになり,不全感は残った。
でもこの機会を通して色々考えを進めることが出来た。私の妄想かも知れないが、まさにラカンの言うとおりだということだ。まさに彼のいう ”le ça parle (Es speaks”なのである。そしてça ≒ it = ES = イド とはニューラルネットワークであり、脳であり、現実界(ラカン)ということである。そしてその根拠としては、チョムスキーに反して無意識に深層言語のプログラム、つまりソフロウェアはないということ、つまり脳≒無意識はハードウェアそのものであるということだ。そしてそれはまさに大規模言語モデルLLMに文法はないということで証明されていることになる。LLMはひたすら、自然な言葉を追求するマシンであり、それは母国語を習得する際の子供の脳そのものなのである。
私は昨日の討論をしながら、ある比喩を思いついた。それは不思議なピアノである。一見どこにでもあるグランドピアノ (別にアップライト型でもいいが)。譜面台などない。何のアプリもインストールされていない。普段は何も音が聞こえてこないが、でも耳を近づけると何やらかすかな音の様々なメロディーが鳴っている。そしてそのピアノは曲を突然奏で出すのだ。自動的に演奏するピアノ。そこにピアニストの姿はない。でもメロディーに対応するキーが勝手に次々と下りていく。
内部を覗くと極めて精密な配線、というよりネットワークがあり、そこから自動的に曲が流れてくる。
この不思議なピアノはどのように曲を弾いているのかと専門家に尋ねると、ただひたすら、「ある音の次になにが続くと自然か」ということである。それならいつも決まった曲が流れないのかを尋ねると、確かに「鼻歌の様に」決まったメロディーが繰り返されることがあるという。しかし「作曲モード」に入ると、「盗作防止装置」なるもの(実はこれは一種のプログラムらしい)がオンになり、どこかで著作権が取得されているようなメロディーは消去されてしまうというのである…・・。
もちろんこの不思議なピアノはLLMによるAIに相当するのだ。そしてそれは無意識にも相当する。こういうときっとどこからか質問が来るだろう。「このピアノに意識はあるのでしょうか?」私はそれについてはこう答えるだろう。「それはわかりません。とても興味はあるのですが、答えてくれません。というより質問をしても何らかのメロディーが流れて来るだけで、意識があるかどうかは結局はわかりません。でもそれはむしろ知りたくないのです。もし意識があり、喜びの感情や痛みを持つとしたら、このピアノを喜ばせようとしたり、一日中酷使して虐待になるのではないかと遠慮したりしなくてはならないでしょうから。」