記憶の再固定化の問題
ところでこの記憶を呼び覚ますか抑制するかは時と場合によるという議論は、私の考えでは記憶の再固定化の問題に行きつく。記憶は想起することで不安定になる。その時にどのようなことが行われることでいい方向に再固定化されていけば治療的であり、そうでなければ非治療的である。そしてそれはあまりにケースバイケースなのだ。記憶が labile な状態で何が起きるかが決定的に重要である。
一般的に言われるのは、安全で安心な環境に置かれた状況で記憶が想起された場合は、その記憶の外傷的な性質は低下するということである。そしてこれを用いているのが、いわゆる系統的脱感作法である。この方法は1950年代に精神科医のウォルピという方が開発した行動療法の一つであるが、安全な場所でゆったりとしたリラックス感を味わいながら、対象となるべき思考や記憶を扱うということにより、その記憶の外傷性を徐々に低下させていく、ということである。いわゆる曝露療法もこれと同じ類と考えることが出来るであろう。しかしこの安全安心な環境の提供は非常に難しく、一歩間違えればトラウマ記憶がより外傷的な形で再固定化されてしまうかもしれないのである。
ある患者さんは昔よく聞いていたロックミュージックを聞いていたところ、見事にFBがシャットアウトされたと言っていた。音楽を聴きながらだとトラウマ記憶が蘇ってもあっという間に解毒されてより安全な形で再固定化されたらしいのである。このような現象が、恐らく患者さん個人により特殊な形で成立するかもしれない。
解離との関連性
三人の先生方により論じられたのは思考や記憶の意図的な抑制である。それらが健常人でも生じることについては様々な研究により示されている。しかし臨床で出会う健忘は解離の機制が関与していることが非常に多い。過去に起きたことが一定期間思い出せない場合、それは抑制という意図的な努力が関係していないことが普通である。それはいわば脳が異なる人格状態で生じる記憶であり、その人格状態に戻らない限りはそれを想起出来ないという現象である。つまりトラウマ記憶と同じように通常のエピソード記憶とは違った振る舞いをするために、意図的な記憶の抑制が働かないという問題が生じる。
今後はこの解離の問題が基礎研究で何らかの形で解明されることを私は非常に期待している。