2024年9月1日日曜日

統合論と「解離能」3

Putnam 先生の discrete behavioral states (DBS) とは次のようなものだ。彼はそもそも人の心は統一体 unity としては出発しないという。人の心は時間をかけて統一体となるというのだ。そして人間の行動の構成要素ないしは自己状態 self state は連合的な経路 associative pathaway により繋がっていく。ところがトラウマによりこの経路が障害され、それぞれの自己状態は最初の状態に繋がったままになってしまうという。  逆にそれがないとそれぞれの部分は文脈から独立して(context independent) 存在するようになる。そしてHowell 先生がトラウマの例として出しているのは次のような例だ。ある男の子が背の高い男性にたたかれる。多分養父だったり実父だったりするだろうが、上級生かもしれない。するとその自己状態は文脈化されずに、ほかの背の高い男性を見ておびえてしまうというのだ。ところが解離の程度が弱い場合には、文脈的に使用できる contextually available ほかの自己状態にサポートしてもらえるであろうという。  このような考えについて Stephen Mitchell もこう言っているという。「精神分析により、より統一された自己が達成されるのはいいが、人格がまじりあうことが、互いに移行する葛藤的な自己をコンテインする能力に優先されるとは思えない。」  Watkins はこんな頼もしいことも言っているという。「それぞれの人格を fuse する必要はない。正常の人格もそうではないのだから」  そしてHowell はかなり本音を語っている。「だいたい、integration という語は問題だ。ラテン語の integer は単位とか単体unit or unity であり、統合という概念はワンパーソン心理学の概念なのだ。」関係論的な立場の人にとっては、一人心理学といわれると「終わっているといわているようなものなのだ。 

 一番大事な文章。「contextual interdependence 文脈的な相互依存という概念は、解離対統一という対立項を回避することができる」。と Howell 先生はおっしゃる。Howell 先生は統合否定論者だといっていいだろう。