2024年8月12日月曜日

男性の性被害 1

 男性の性被害について考えをまとめる必要がある。米国の Richard Gartner 先生がある学会で9月にこのテーマでの講演を行なうが、その指定討論の役を負っているからである。その内容はここでは伝えられないものの、資料となるべきものは沢山ある。その中でいわゆるジャニーズ問題についてまず考えておきたい。  この事件、まずおぞましい限りである。というかこの種のことが実は世界の至る所で起きているということが信じがたい。そしてこのようなことが最近になって表に出るようになってきたとすれば、人類の歴史においてこのようなことが延々と続いていた可能性は非常に高い。そしてその対象が声を上げることが出来ない女性、そして子供達であったことに嘆息する。なぜならそれは立場や力の弱い人々に対して、立場や力の強い人間達が常に行ってきたことと考える以外にないからだ。しかしG先生がこのトピックについて特に取り上げるように、男性に対する性被害は、一般的な身体的な虐待とは別の形で行われるということだ。つまりいわゆるグルーミングと呼ばれるより隠微な形で生じていた可能性があるのだ。  グルーミングでは一方的な加害者、被害者という図式とは多少なりとも異なる点が特徴である。それは一種の(偽りの)愛情表現のニュアンスを含んだものであることが多い。虐待者の多くは「見知らぬ他人」ではなくよく知った教師や先輩、指導者などである。そしてそれは愛情表現のような形をとりながら性的な関りを唐突に含み始めることで、子供の側を混乱させる。  フェレンチがいみじくも言った「言葉の混乱」がそこに生じる。一つは性的な誘因 sexual attraction、もう一つは社会的(家族的)誘因 social (familial) attraction という Mark Erickson に倣った呼び方だ。言葉の混乱はこの二つが混同されるということになり、それを子供は不快に、ないし時には外傷的に体験する。見方を変えれば disssociogenic なストレスとなるだろう。