2024年8月18日日曜日

希望の在り処 10

第9章 「つながること」と「つなげること」と「つながりながら浮かび上がること」

 表題からして本書にとって中心となるような章であろう。そして執筆されたのも2017年であり、本書に収められた章の中では最も最近のものである。

 冒頭に描かれた比喩、すなわち対人関係学派は音の伝達などの「近接作用」について論じているのに対し、クライン派の投影や取入れは重力などの「遠隔作用」に近いという比較は興味深い。確かにそう言えるのかもしれない。そしてドネル・スターンの「未構成の経験」を引き、そもそも関係論においては意味は関係性の中から作り上げられるという点が強調される。これはとても重要な点だ。例えば転移の概念を考えよう。患者が治療者に恐れを抱く場合、それは患者が父親に持っていた感情が転移されたものであると考えるとしよう。それはすでにある意味が治療関係でも再現され、繰り返されるということになる。それに比べてスターンの言う関係論的なあり方においては、治療者と患者の間で起きることは予測できず、まさに未知数ということになるであろう。

 本章では改めてミッチェルのいう関係基盤の概念について紹介するが、それは「精神内界領域と対人関係領域の両方を囲い込むような関係基盤の中で作用しているとみなすことである」ということだ。私は関係基盤はむしろ後者の関係領域に関するものだと思っていたので誤解を解いてもらったことになる。ミッチェルは極めて流動的な考え方を持ち、「我々の心は多重的で非連続的でありながら、同時に総合的で連続的な自分自身でもある」(p.179)とする。非連続的で予測不可能であるからこそ、それを一本の理論でまとめ上げることもとても難しくなる。それこそ治療者とどのような出会いがあるかにより、治療はいかようにも異なる道筋をたどることになる。この不可知論的な考え方は関係論の真骨頂であり、また同時にそれが初学者たちを遠ざける理由でもあるだろう。さて筆者は治療作用を3つの相に分ける。本章の核心部分だ。

それらはつながること、つなげること、つながりから浮かび上がることの3相であると言う。

 続いて症例Aさんが登場する。30年ほど前の治療ということは、恐らく筆者のキャリアのかなり初期の頃のケースであろうが、「心的外傷の影響が推察される解離を症状として持つ」というAさんは当時は境界性人格障害として理解し、カーンバーグやマスターソンの力動的理解を参照枠にしつつ、あくまでもAさんの攻撃性や見捨てられ不安と言った、Aさん自身の問題について解釈や直面化を行なったという。

 こうして治療が終わり20年経ってAさんは再び著者の前に現れ、二度目の治療が始まる。そしてより関係精神分析的な考えの馴染んでいた彼は、「患者の思考のパートナーとして、解離されていた自己状態をエナクトメントの中で目撃することによって、その意味を共同構築していくことを試みた」とある。同じケースに対して時を経て変わった著者の治療スタイルの変化が、Aさんとの二回の治療の違いに反映されている。そして二回目の治療で現れたエナクトメントの例が「つながりながら浮かび上がること」の例として生き生きと描かれている。