コーダ:故郷への長い旅路
本書の終章である。ここではここ3,4年のコロナ禍を生きのびた臨床家としての筆者が、診察室を海原を漂う小舟に例えて語る。そこには文学的な香りが高く、私は筆者を詩人のように感じる。そして谷川俊太郎の詩を借りて,私達の生きる現実世界を「真綿みたいな絶望の大量と、鉛みたいな希望の微量が釣り合っている状態」と描く。コロナ禍をようやく乗り切りつつある自分を「いま木漏れ日の中にいる」と表現する。最後にこの著書の制作された経緯を、筆者が所属する今日と精神分析心理療法研究所(KIPP)の出版委員会からの後押しにより実現したとあり、これまでに出会った多くの仲間への謝意が語られる。
この章もまた筆者らしい章である。日常の臨床活動に主力を注ぐ一方ではスティーブン・ミッチェルとその関係者の著作を日本に広める活動を一貫して続けておられる。その歩みは派手さはあまりないかも知れないが着実でその姿勢は誠実そのものである。だからこそ人生のこの時期に「まるで私に注がれる優しいまなざしのような」木漏れ日に浸る安らぎを得ることが出来たのであろう。筆者の至ったそのような境地を私はとても羨ましく思う。(以下略)