本稿のテーマはあくまでも「PDについての教育の仕方」である。つまりPDとは何か、ということではなく、PDとは何かをどのように注意して若手医師に教育すればいいのか、ということである。つまりは教え方のポイントということだ。
PDのエッセンスとは何か
私達は人に何事かをレクチャーする時、そのテーマの本質についてなるべくわかりやすく、簡潔に伝えることを心がけるものだ。その意味でPDの議論の本質は何か? それはPDとは症状を伴う精神疾患ではなく、何らかの性格上の問題を扱うという点である。その人はうつや幻聴や失神などの症状を呈しているわけではない。だから病気とは言えない。でもどこかに生きにくさを備えている。例えば嘘をつく、怒りっぽい、など。それは性格に属するのだろう。それは誰でもある程度は持っている性質だが、それが極端な形で現れる。そこでそれを性格(人格)障害と呼ぼう、ということになった。しかし人格、と言っても大雑把なので、人が持っている認知パターン、感情パターン、対人関係のパターンのいずれかの偏りと考える。だいたいこれで性格の偏りをカバーすることが出来るわけだ。
この三つのパターンに関しては、DSMのPDでA,B,C群に分かれていたのが象徴的だ。アメリカでは、A群はmad,B群はbad,C群はsadに分かれると教わった。「PDはマッド、バッド、サッドだ」と。A群はスキゾイドPDなどに象徴される思考過程の特異性を伴ったPD、B群はBPDや反社会性などの対人関係に問題を抱えたPD,そしてC群は回避性PDなどの、感情面での問題を抱えたPDということになる。
1800年代にクレペリンなどにより精神医学が整備された際に、彼らは人格障害の分類にも着手した。例えばクレペリンは軽佻者、欲動者、帰郷者、虚言者、反社会者、好争者の7つに分類し、シュナイダーは類似のものを10個提示した。結局これらが代々引き継がれてDSMに至ったと考えればいいだろう。
しかしここで抑えておくべきなのは、こと性格に関しては、一般心理学でも研究の対象とされていたということである。そしてこの精神医学的な人格(障害)と一般心理学的な人格とのある種の融合が行われたのがいわゆるディメンショナルモデルなのだ。