2024年6月21日金曜日

PDの臨床教育 推敲 3

ともかくもカテゴリカルモデルの問題について、文献に沿って論を進めよう。しかしそれにしても面白いのは、書けば書くほど、自分がいかに勘違いしていたか、わかっていなかったが分かるということだ。

Bachの論文によると、カテゴリカルモデルには次の3つが問題であった。曖昧な診断閾値、カテゴリーの間の重複が著しいこと、10のカテゴリーわけのエビデンスがないこと、そして臨床的な有用性がひくいこと、であった。
 これについては、いわゆるポリセティックとモノセティックという議論があり、ポリセティックとは、例えば10の基準のうち6つを満たせばOK,モノセティックとは3つをすべて満たさないとダメという診断法だ。そしてDSMのカテゴリカルモデルでは、ポリセティック方式であった。例えばαパーソナリティ障害(αPD)について、a-jまでの10の基準のうち6つ満たせばいい、となると、ある患者はa,b,c,d,e,f,で、別の患者はe,f,g,h,i,j満たしていた場合、両方は同じαPDでも、二つしか症状が重複せず、かなり違った様子を示すことになる。これは問題であろう。
 あるいはa,b,c,d,eの5つしか満たさなければαPDとは言えないのか、ということにもなる。これが曖昧な診断閾値という意味だ。(もっと言えば、どうして7つでもなく5つでもなく、6つ満たさなくてはならないのか、ということも同じ議論だ。)実際にこの診断基準を使ってみるとそれなりに重宝であるが、以下にもかっちり書かれたテキストに従った診断を下しているようで、不思議な感覚を覚えていたものである。それにこの調子だと、ある人はαPDの基準は4つ、βPDの基準は3つ、γPDを4つ、などと言うことになり、かなり診断が重複する可能性もあれば、「他に分類されないPD」に多くの人が入る事にもなるだろう。

そこでDSM-5代替案では、思い切った対策を考えた。それはPDが「あるか、ないか」を指定するという形にしたのだ。いわばPDを一つにしてしまい、それがあるかないかという形での診断をすると、これは重複の使用がない。しかしいくらなんでもそれは大雑把すぎるということでPDに機能レベルということを考え、要するに重症か、中等度か、軽症か、といった段階に分けることにした。これだとある人は「PDあり、軽症」別の人は「PDあり、中等度」と診断したとしても重複診断と責められることもあまりないだろう。