2024年5月18日土曜日

CPTSDと解離 5

先日紹介したこの論文、実はネットで読めることが分かってさっそくダウンロード。

 Hyland P, Shevlin M, Fyvie C, Cloitre M, Karatzias T. The relationship between ICD-11 PTSD, complex PTSD and dissociative experiences. J Trauma Dissociation. 2020 Jan-Feb;21(1):62-72.

その冒頭に書いていてある事に考えさせられた。こう書いてある。traumatic stress researchers have debated whether dissociation is dimensional or a taxon (Brewin,2003) 訳すると、「トラウマの研究者の間で意見が分かれている問題がある。解離はディメンジョナル(次元的)か、タクソンか」。
 最初は意味が分からなかったが、それは私が解離の議論に関してこれまで関心を向けていないことだったからだ。
 この文章はすなわち、すなわち解離とは病的な特性として抽出できるようなものなのか、それとも誰にでもあるものがその度合いが高くなることにより病的になるのか、ということだ。例えば「憂鬱気分」はディメンジョナルだ。なぜなら軽い憂鬱分は誰でも体験するが、深刻になるとうつ病と診断される。その意味では「不安」もディメンジョナルだ。
 タクソンとしては例えば「幻聴」が挙げられるだろう。特殊な病気で生じ、それが見られることは diagnostic (診断的)である。「意識発作を伴うような痙攣発作」もそうだ。つまり「昨日軽い幻聴があったけれど、すぐよくなった」とか「昨日電車の中で軽い痙攣発作が起きたけれど、いつものことだから気にしなかった」ということは普通はない。「悪性腫瘍」もタクソンだ。「大学時代、梅雨の頃になると軽い悪性腫瘍が出来たが、医者に行くまでもなく直ぐによくなった」ということはないだろう。
 さて解離はどうか。軽い(健康な範囲でも起きうる)解離症状と病的な解離症状とに分かれるのか。難しい問題だが、いわゆるDES-Taxon はこの理屈に沿ったものだ。