CPTSDとBPDの関連性 -その再考
以上Herman により提唱された「BPD寄り」のCPTSDの概念について述べたが、ここで再び問おう。ICD-11によるCPTSDとBPDとの関連性については、結局どの様に捉えたらいいのであろうか。ICD-11が発表された後に、CPTSDがPTSDとBPDの合併症と区別されるべきかという問題がさかんに論じられるようになった。そして「自己組織化の障害」はCPTSDとBPDに共通しているというのが概ねの見解であるようである(Ford & Couerois, 2021)。しかしCPTSDのパーソナリティ傾向とBPDのそれはやはり異なるものとしてとらえるべきだという見解もある。
Cloitre (2014) は、「自己組織化の障害」はCPTSDとBPDに見られるとしているが、その上でBPDの場合にはそれ以外にも、以下の4つが特徴的であった点を強調する。それらはすなわち見捨てられまいとする尋常ならざる努力、理想化と脱価値化の間を揺れ動く不安定で激しい対人関係、著しくかつ持続する不安定な自己イメージや感覚、衝動性、である。
そしてこれらはCPTSDでは低かったという事である(Cloitre, et al. 2014)。また自殺企図や自傷行為はBPDでは50%だったが、CPTSDやPTSDでは15%前後だったという。すなわちCPTSDとBPDとの関連性はそれほど高くないということになる。
改めてCPTSDに描かれた、「自己組織化の異常」として表されるパーソナリティ傾向を考えると、それはBPDに比べて「地味」であり、他罰的ではなくむしろ自罰的であると言えよう。その意味では上記のCloitre の結論は納得出来るものだ。長期、特に幼少時にトラウマに晒された人々が悲観的で抑うつ的、自罰的なパーソナリティ傾向を有することは臨床場面でも見て取れることであり、それはBPDの典型像とは異なる。そして「自己組織化の異常」はそれを比較的うまく表現しているように思う。
ちなみにBPDの特徴と捉えるための概念として、私は最近提唱されているいわゆる「hyperbolic temperament」説に注目している。ボストンのZanarini グループが1900年代末に提唱した説であり、ボーダーラインの病理のエッセンスとして、いわゆる Hyperbolic temperament による心の痛みが特徴であると説いた(Hopewood, et al. 2012)。これを字義通り「誇張気質」と訳すと誤訳扱いされかねないので「HT」と表記しておくことにする。このHTとは次のように記されている。「容易に立腹し、結果として生じる持続的な憤りを鎮めるために、自分の心の痛みがいかに深刻かを他者にわかってもらうことを執拗に求める。」(Zanarini & Frankenburg, 2007, p. 520).
これはDSMのBPDの第一定義、すなわち「他者から見捨てられることを回避するための死に物狂いの努力」(DSM-5)とほぼ同義であるように思う。ただしHTは「気質temperament」、すなわち生まれつき、遺伝子(というよりはゲノム)により大きく規定されている、と主張している点が特徴だ。
以上のことから本章の一応の結論を述べよう。HermanのCPTSDの概念の提案は確かに偉業であった。慢性のトラウマを体験した人々の精神障害についてのプロトタイプとして掲げられたCPTSD概念には大きな意義があり、ICD-11への掲載により、この問題に対する啓発という目的は達成されたのだ。
ただしHermanのCPTSDの概念にBPDが含みこまれていたことは、BPDの病理を把握することの難しさをかえって際立たせたという側面を持っていたかもしれない。そしてこれらの考察が示唆するのは、CPTSDに見られるトラウマ由来のパーソナリティ傾向は、ボーダーラインパターンのみではとらえられず、あらたにPDに追加されるべきものではないかということである。