2024年5月7日火曜日

「トラウマ本」 感情とトラウマ 加筆訂正部分 3

 陽性感情のタブー視と禁欲原則

フロイトが100年前に至った強い陽性感情へのタブー視は、私にはある意味では十分理解可能なものの様に思える。精神療法においては患者はしばしば様々な感情的な反応を起こし、治療者もかなり巻き込まれる可能性がある。そしてそれはダイナミックな治療上の展開を生み、思わぬ成果につながることもあるものの、場合によっては治療関係の決定的な破綻に至ることもある。特に恋愛性の転移は治療者を容易に巻き込み、治療関係そのものの破綻や性的なトラウマを生むことさえある。

しかし問題は、そのような懸念を一つの要因として、精神分析では患者の陽性感情を引き起こすようなかかわりは一種のタブーとされて来たということである。フロイト自身は治療者が患者と個人的な関係を結ぶことについてそれを戒めた。それ自身は倫理的な観点から極めて重要な事であった。
 しかしそのような戒めはいわゆる禁欲規則、すなわち患者の願望を充足することを戒めるという規則とある意味では地続きとなり、その原則を遵守することが「正統派」の精神分析とされた。

 伝統的な分析家の治療スタイルは、治療の多くの時間を黙って患者の話に耳を傾ける一方では、質問に答えたり自分について語ったりすることを避けるというものである。そのような治療者に対して、患者はむしろ冷たく非人間的な対応をされているような、ネガティブな感情を持つことも少なくなかった。そしてそれは患者の側のネガティブな感情や攻撃性の表出を促進し、それが治療を推し進めていくということが一般的であった。

ただし精神分析の歴史では、感情の持つ意味合いを高く評価して臨床に積極的に応用する立場も見られた。その代表としてフェレンチと、フランツ・アレキサンダーが挙げられるだろう。

フェレンチはフロイトの弟子であったが、きわめて野心的であり、師匠であるフロイトの提唱した分析療法をより迅速に行う方法を考案した。その中でも彼の提唱した「リラクセーション法」は患者の願望を満たし、より退行を生むことを目的としたものであった。
 フェレンチはさまざまな事情から晩年はフロイトとの決別に至ったが、弟子のマイケル・バリントの「治療論からみた退行」(Balint,1968)という著書によりその業績がまとめられている。それによればフェレンチは患者の願望をとことん満たすことで患者の陽性転移を積極的に賦活したものの、その一部は悪性の退行を招き、悲惨な結果を生むこともあった。フェレンチはエリザベス・サヴァーンという患者の要望を聞き入れ、彼女との相互分析(お互いを分析し合うこと)を行った(森、2018)。しかしそれによりサヴァーンの症状をより悪化させただけでなく、フェレンチ自身の悪性貧血による衰弱を早めたとされる。

もう一つの試みはフランツ・アレキサンダーによるものだった。アレキサンダーはハンス・ザックスに教育分析を受けたのちにアメリカ合衆国にわたり、シカゴ大学で精神分析理論を自分流に改良した。彼も精神分析プロセスを迅速に進める上で様々な試みを行ったが、その中でも「修正感情体験」の概念がよく知られる。
 アレキサンダーは幼少時に養育者から受けた不適切な情緒体験が治療者の間であらたに修正された体験となることで、分析治療が迅速に進むと考えた。彼はV.ユーゴ―の小説「ああ無常」の主人公ジャン・バルジャンを例に示す。ある教会で燭台を盗んだジャン・バルジャンは、警察の調べを受けるが、その際に司祭が「それは自分が進んで彼に与えたのだ」と答えた。最初は司祭に対して厳しく懲罰的な父親イメージ(いわば転移に相当する)を持っていたであろうバルジャンは、司祭との間で幼少時とは全く異なる(修正された)感情体験を持ったことになる。これが「修正感情体験」の例であるが、アレキサンダーはまた、患者に対して叱ることのなかった親とは異なり、叱責をして治療を行ったという例も挙げている。


陽性感情と新しいトラウマ理論


以上のフェレンチやアレキサンダーの試みにおいては、特に陽性の感情を積極的に喚起することが意図されていたが、それは明らかに従来の「正統派」の精神分析に反したものであった。そしてフェレンチはフロイト自身に、そしてアレキサンダーも当時の米国の精神分析会から強い批判を浴びることとなった。しかし現代ではそのような考えに対する再考の動きもみられる。上に述べた禁欲原則に従った治療者の姿勢は、患者が過去に受けた不十分な養育環境を再現してしまう可能性も意味している。その可能性と問題点を積極的に示してくれているのが最近のトラウマ理論である。

現代の精神療法においては、来談者の多くにより語られる幼少時、あるいは思春期における性的、身体的、及び心理的なトラウマについてますます焦点が当たるようになって来ている。最近発表されたICD-11(2022)に組み込まれた複雑性PTSDの概念やアラン・ショア(Schore,2009)により示された「愛着トラウマ」という概念(すなわち母親との愛着が十分に形成されなかった過程を一種のトラウマとして理解する立場)が注意を喚起しているのは、多くの来談者の成育歴に愛着の欠損が見られる可能性である。
 その場合治療状況が再トラウマ体験となることがないような、十分な安全性やそれに基づく陽性の感情が醸し出されることの必要性が改めて強調される。この様な考えは精神分析の内部においては従来いわゆる「欠損モデル」として前出のフェレンチやバリントにより提唱されていたものの、これまで十分な注意が払われてこなかった視点である。そしてこの視点は従来の精神分析が要請していた禁欲、あるいは受け身的な治療者の態度との間に大きな開きがあるのである。フロイトの言った「治療の進展の妨げにならない陽性転移」は治療の進展を保証するのみならず、治療が成立する際の前提とさえ考えられることになるのだ。


まとめ

以上のようにフロイトが考案した感情とトラウマについての関係性は、除反応の発見の様にその後のトラウマと感情表現について重要な示唆を与えてくれたものがあった。しかしフロイト理論の量的な側面に基づくトラウマ理論、すなわち高まった情動そのものがトラウマ的であるという考えは、かなりミスリーディングであったと言えるだろう。その結果として陽性感情そのものが生起される状況をタブー視するという禁欲主義的な姿勢は、精神分析の中で場合によっては再トラウマ体験を助長しかねない性質を持っていたのである。それはフェレンチやアレキサンダーなどのフロイトの後継者たちにより修正が試みられたものの、精神分析の主流たり得なかったという側面があった。

その様な問題を払拭する形で発展してきているのが、愛着の問題を基盤にした新しいトラウマ理論であった。そこでは愛着期における養育の欠如が生み出すトラウマ、すなわち愛着トラウマが強調されることになった。これはフロイトの量的な側面に従ったトラウマではなく、養育欠如により自分自身で情動をコントロールできないことのトラウマという理解が示された。そしてトラウマ治療は養育環境を再現する方向を強調し、そこでは安全な環境により温かさや信頼感などが穏やかな形で提供されることの重要さを重視するようになっている。
 その立場からトラウマと情動について考えると、ネガティブな情動をやみくもに除反応と共に扱うことが危険を伴う一方では、ウィニコットが唱えたような抱える環境、養育環境に類似した治療関係の中でトラウマが扱われるべきであるという考えが導かれた。

しかし改めて考えると、それはフロイトがいわゆる抵抗とならない穏やかな情動による関係が治療の成功を導く重要な要素としてあげていた点と実はかなり近いことが分かる。フロイトの理論は多くのミスリーディングな側面と同時に、極めて常識的な考えを提供していたとも言えるのであろう。