2024年5月5日日曜日

「トラウマ本」 感情とトラウマ 加筆訂正部分 1

 臨床家フロイトのトラウマの発見-除反応から転移へ


臨床医になる決意をしたフロイトは、先輩であるジョーゼフ・ブロイアー医師の導きのもとで修業を積んだが、二人は感情に関する一つの興味深い体験を持つこととなった。そしてそこにはトラウマの問題が深く絡んでいたのである。

彼らが体験したのは次のことだ。当時ヒステリーと呼ばれていた患者の一部は、催眠を施して過去のトラウマ体験を回想してもらった場合、嘆く、悲しむなどの激しい情動体験を持つ。そしてその後に、ヒステリー症状が劇的に改善したのである。いわゆる「カタルシス効果」、あるいは彼らが呼ぶ「除反応 abreaction」と呼ばれる現象との出会いである。
  過去のトラウマについて情動を伴って想起されるというこの「除反応」は、あたかも溜まっている膿が吐き出されるというようなイメージを与える。そしてこれがフロイトが考えた「精神の量的な側面」、すなわち情動の高まりやうっ滞が不快や病理に関与し、それが一気に解放されることが快感や症状の治癒に結びつくという考え方であった。そしてトラウマに関係していたのは不安や恐怖や苦痛などのネガティブな感情であったのだ。
 ただしフロイトはこの種の除反応がすべての患者に応用できるわけではない事に気がついた。そもそも全ての患者が催眠にかかるわけではなく、むしろゆっくりと患者に連想を語ってもらう方法を取るべきであると考えるようになった。それがいわゆる自由連想法であり、それを主たる技法として扱う精神分析療法だったのだ。

ところで現代的な視点からは、フロイトが発見した除反応については一つの問題がある。それは患者が激しい情動を伴って過去のトラウマについて語る場合、それがかならずしも症状の軽減につながらないということである。むしろその激しい反応が再外傷体験となり、更なるフラッシュバックを生む可能性がある。現在臨床的に行われているエクスポージャー療法(Foe, et al.)もこの点を十分加味したうえで慎重に行われているのだ。

フロイトに話しを戻すならば、彼はこの除反応の経験を経て精神分析理論を生み出す過程である重要な理論上の転換点があった。フロイトは最初はヒステリー症状を呈する患者の全ての例で、幼少時に現実に性的トラウマが生じたと考え、それをヒステリーの原因と考えてその治療を試みた。ところがフロイトは1897年のある時点で、実は患者の体験したのは、実は現実のトラウマではなく、ファンタジーであったという見解を取るようになる。これがいわゆる「誘惑論」と呼ばれるものであるが、これはフロイトのトラウマの概念化を考える上で極めて重大な問題をはらんでいた。
 フロイトのこの方針転換がどの様な背景のもとに生じたかについては様々な議論があるが(Masson, )フロイトが最終的に至った考えは、性的トラウマの最も本質的な問題は、幼児の中の性的な興奮の高まりであると考えたことである。そしてそれが生じるためには、実際の性被害はかならずしも存在する必要がないと思い至ったのだ。
 その際にも情動の高まりやうっ滞がトラウマ的であるという図式は変わらないものの、高まるものは現実のトラウマに関係した不安や恐怖や苦痛と言ったネガティブな情動ではなく、性的なファンタジーに伴う性的な興奮だという考えに移ったのである。

 このフロイトの新たな図式はエネルギー経済論的には整合性を保っていると言えるだろう。しかしそこに至ってフロイトの考えるトラウマの概念は変質してしまったというのが私の基本的な考えである。

性被害がどの様な意味でトラウマになるのかを考えた場合、それは侵害され、恐怖や痛みや傷つきの感覚を味合わされたという点にある。ところが性的な興奮の高まりがトラウマ的であると考えた場合には、被害者は性的興奮を自ら体験したという意味ではトラウマに加担したとしてとらえられてしまう。フロイトの有名な症例ドラに見られるような、明らかにK氏から彼女への性的な加害行為とみなすべき例についても、フロイトはドラの側の性的興奮の可能性を指摘し、それが症状形成の原因になっていたと解釈した。そしてそれはすでに被害者であったドラに対する更なる追い打ちとなってしまったと考えられるのである。