2024年4月26日金曜日

企画の狙い 推敲

 「解離性障害は本当に存在するのですか?」

 いきなりこう問われても戸惑う人は多いかも知れない。しかし「解離性障害 dissociative disorder」という診断名の歴史は意外に浅い。精神医学の世界で解離性障害が市民権を得たのは、1980年の米国におけるDSM-Ⅲであることは識者がおおむね一致するところであろう。「解離性障害」がいわば「独り立ち」して精神科の診断名として掲載されたのはこの時が初めてだからだ。
 もちろんタームとしての「解離」ははるか以前から見られた。1952年のDSM初版には精神神経症の下位分類として「解離反応」と「転換反応」という表現が見られる。1968年のDSM-Ⅱにはヒステリー神経症(解離型、転換型)という表現が存在した。ただしそれはまだヒステリーという時代遅れの概念の傘の下に置かれていたのだ。
 しかしDSM-Ⅲ-R(1987),DSM-IV(1994),DSM-5(2013)と改定されるに従い、解離性障害の分類は、少なくともその細部に関しては色々と変遷を遂げてきた。それは世界保健機構WHOICDの分類においてはさらにその変遷が顕著だったと言えるだろう。また同時にヒステリーや解離の概念にとって中核的な位置を占めていた心因や疾病利得ないしは転換性障害という概念自体が見直され、消えていく動きがみられる。
 このように解離性障害の分類に関してDSMとICDが歩調を合わせつつあるのはありがたいことであるが、両者の間には従来の転換症状を解離として含むか否かという点に関する大きな隔たりが残されているのだ。

臨床上の取り扱いの問題

 しかしさらに大きな問題があると私たちは考える。それは一方では整備されつつある解離性障害が、同時に非常に誤解や偏見の対象にされていることも事実なのだ。 その極めつけは恐らく解離性同一性障害(DID)であり、本特集で何人かの論者が示すとおり、例え診断としての解離性障害については受け入れても、患者さんが示すいわゆる交代人格についてそれを扱わない、無視するという立場を取る臨床家は少なくない。一方では統合失調症との誤診の問題は存在するものの、その傾向はやや少なくなっている感がある。しかし解離性の人格に対する扱いに見られる誤解はより奥が深いようにも思える。
 解離はその本来の性質として半永久的に誤解を受けるらしく、いまだに臨床家にさえ敬遠されているという問題がある。これは解離性障害自身が持つ課題であろうか?  精神分析系の治療者に特に敬遠されているのは、人間の心は一つであるというフロイト以来の考え方を離れられないからであろう。解離・転換症状はどうしても何かの象徴、防衛、或いは何かのアピールという印象を与えてしまう。その結果として交代人格を受け入れることイコール誤り、という考え方に傾く。 しかしジャネはそこが違っていて、複数の心の共存を認め、ある意味で非常に先見の明があった。
 幸いDSMやICDの診断基準の変更は方向性としては好ましく、またPTSDもそこに解離サブタイプを設けることで、PTSD vs 解離の構造は解消されつつある? CPTSDの概念も一役買っている。 解離は恐らく抑圧に代わって症候学的にも注目されるべき、将来性のある概念である。 以上を踏まえて治療論も展開されるべきであろう。