2024年4月22日月曜日

脳科学と臨床心理学 第一章 加筆部分2

 ソフトフェアとハードウェアは同一である?

心のソフトフェアは存在しないのではないかという仮説について今述べたが、私にはもう一つの代替案がある。どうやらこれが私にとってより信憑性を帯びてきているのだ。それはハードウェアとソフトウェアにあまり区別を設ける必要はないという可能性を考えているのだ。これは心のソフトウェアがハードウェアとは別に存在するかしないか、という議論そのものがあまり意味がないという立場だ。

 もちろんハードウェアとしての脳は厳然として存在する。しかしその仕組みを知ることで、心がどの様に構成されていくかについてのヒントが得られるために、新たに「心とは何か」を純粋に理論的に考える必要があまりないのではないかという立場なのだ。

それは脳の神経回路についての研究が進むにつれて、その配線のされ方そのものが心のありようを描いているのではないかという考え方がますますその重要性を帯びてきているようだからだ。

カール・フリストンのいわゆる「自由エネルギー論」(第5章で登場)がそのヒントになっている。中枢神経系は巨大なネットワークであるが、その構成のされ方は、いわゆるニューラルネットワークにより表されるような、一方での巨大な入力層と、他方での出力層の間で生じるインターラクションから成り立ち、それにより素子の繋がり方が変更されていくという形を取るようである。いわゆる強化学習と言われるプロセスがそれに相当する。しかしこれは実は人が学習を重ねていくプロセスときわめて類似している。


結局脳は環境に適応して生き残る生命体としての私たちの一部であり、心はそれに付随して生じる現象(「随伴現象」として第5章に登場する)に過ぎないとしたらそこにソフトウェアを想定するのは本末転倒ということになる。

心のソフトウェアを追求することをやめるとしたら、心を知る一つの具体的な手法は脳の活動を観察することだ。この見解には、多くの脳科学者が同意するだろうと思う。そしてそれを支えてくれるツールとしては2つが挙げられる。

1つにはfMRIに代表される脳の画像技術の発展である。ノセボ効果による痛みと医学的に説明のつく痛みが脳の特定部位における同様の興奮のパターンを示すことなどはその一例だ。

そしてもう1つは,いわゆるニューラルネットワークモデルの発展であり,それを飛躍的に精緻なものにしたディープラーニングの技術である。きわめて膨大なスケールの人工的な神経ネットワークというハードウェアに繰り返し自己学習を行わせることで,人間的な知性と見まごう能力が獲得される。この問題は第 章に登場する。

ということでこの第一章は、最初は脳科学嫌いであった私がなぜそれに大いに興味を示すようになったかについて、後に続く章の内容を匂わせつつ論じた。以下に続く11の章はかなり完全に筆任に書き進んでいくが、理論というよりは私の体験に基づいてエッセイ風に書いていきたいので,どうかお付き合い願いたい。