臨床的な現実
私は最近自分でも疑っていなかった現象に驚いたことがある。母親は自分の娘がある時突然「私はマイです」と自己紹介をしたことに驚いたが、母親は二人を異なる人格として、まるで双子の姉妹の様に扱い始めた。そして「マイちゃん」という呼び方にも愛情がこもっているように聞こえるのだ。そんなバカなことが・・・と思うより先に、交代人格のことをその人として扱うのだ。自分の娘をよく知っているこの母親の直感――――娘は二つの人格を有する―――が何より事実を表しているのではないか。
臨床的な例は枚挙にいとまがない。ある患者さんは人格Aにはなついているワンちゃんが、Bの際には近づきもしないという体験を語った。別の患者さんは、異なる人格の存在を幼い自分の子供には見せたくないと思っていたが、子供の方が先にお母さんは二人いる、と言い出したという。ワンちゃんや幼い子は、直感的に別人をそれと認識する。それにもかかわらず異なる人格として存在する複数の交代人格を、それが互いに部分であると主張する理由はあるだろうか?
一人の中に別個の人格が存在するという立場は恐らくあらゆる既存の哲学的、心理学的な理論に反する。しかしそれが臨床的な事実だとすれば、それを受け入れていくしかない。