第三段階 交代人格はやがて統合されるべきである
この段階での誤解は、交代人格が統合されることが治療の進む道であるという考え方にある。これは、第一、第二の段階の誤解をクリアーし、解離性障害の存在を実感し、治療場面やそれ以外で交代人格に出会うという経験を持った後でも生じうる。
私はこれを誤解としてここで示したいが、誤解を受ける前に断り書きをしておきたい。統合はそれが自然と生じる場合には恐らく望ましい方向であろうし、私はその可能性を否定するものではないということだ。あくまでも治療者がその統合を望ましいものとして最初から積極的に促す場合について言えることだ。
私はいつも不思議に思うのであるが、交代人格たちはやがて統合されるべし、という考え方はかなり無反省に持たれているということである。本来一つであるべきものが複数に分かれているのであれば、それは将来一つに戻るべきである、というのは常識の範囲内の思考かもしれない。それに今私は「本来一つであるべきものが複数に分かれている」という言いかたをしたが、ここにすでに誤解の素地が見られると言っていいだろう。実は一つの人格が別れて交代人格が生まれるのではない。いくつかの人格が複数生れた、という言いかたが正しいであろう。性質a,b,c,d,e,f,g・・・を持っていたAさんが、a,b,c を持ったA1さんと、d,e,f,g を持ったA2に分かれるのではない。通常はAさんとは全く異なるBさんがある日突然出現するという形を取るのだ。どこにも「分かれ」は生じていない。しかし複数の人格が存在するという事実は認めるとしても、それは「一つのものが分割されたもの」とは限らないという点が、多くの人にはなかなか納得できない。