2024年4月17日水曜日

精神療法と強度のスペクトラム 

 
「強度のスペクトラム」についての発表が迫ってきた。こんな感じで話すという内容を少し書いてみる。

1.精神分析と精神療法にはおおむね共通の「治癒機序」が働くと考えることが出来る。その意味で両者に本質的な相違を設ける必要はない。(この立場は高野の「近似仮説」、藤山の「平行移動仮説」に近い。)このことは特に「分析を受けないと本質を体験できない。ちなみにこれは私自身の体験から言えることではないかと思う。週一回でも4回でも、あえて言えば精神科の外来での面接でも、精神療法でも、同じようなメンタリティが持続して生じていると思われるからだ。
  2.その意味では精神分析を精神療法のスペクトラムの一つの在り方として理解すべきであろう。(この見解は精神分析を精神療法の下に位置づけることになり、精神分析家たちにとってはあまり面白くないかも知れない。しかし米国の分析協会の最近の理解に沿っているとも言える。これについては後に資料を提供したい。)
  3.他の条件が同じであれば、もちろん週4回の方がベターであろう。しかしそれは「週4でないと本物でない」、という議論にはつながらない。(この点についてはもちろんである。ただし回数が多いことで退行が進んでしまう、或いは依存傾向が増してしまうという場合には、もちろん回数が多いほどいい、という理屈は成り立たない。)
  4.4回か週1回かは、「どちらがより望ましいか」だけによる選択ではない。通常は金銭的、時間的な負担、治療者側の種々の都合などが勘案された折衷案(妥協策)である。(精神分析は非常に有効であるから、仕事や趣味を犠牲にしても週に4回以上のセッションに導くべきである、という議論は極端であろう。仕事や個人生活を大事にしつつ、治療を行なうためにはどのくらいの頻度が最適化は、ケースバイケースである。)