2024年4月16日火曜日

解離ーそれを誤解されることのトラウマ 7

 第二段階 交代人格は無視すべきである

 解離をめぐる誤解と否認の第2段階は、解離性障害の存在については認めるものの、交代人格にはかかわらない、無視すべきであるという方針を持つ臨床家である。この段階にある臨床家はどれほどいるかはわからないが、決して少なくない。というよりは臨床家の大多数が当てはまるかもしれない。トラウマ治療で名高い杉山登志郎は以下の様に述べる。
一般の精神科医療の中で、多重人格には「取り合わない」という治療方法(これを治療というのだろうか?) が、主流になっているように感じる。だがこれは、多重人格成立の過程から見ると、誤った対応と言わざるを得ない(p.105)。

杉山登志郎(2020)発達性トラウマ性障害と複雑性PTSDの治療. 誠信書房
 

 このレベルの誤解、すなわちDIDという病態の存在は認めつつ、交代人格を無視するという立場は、第1段階よりはその否認のレベルは低いといえよう。ただし考え方によってはより複雑な問題を生む可能性がある。ある患者さんは依然かかっていた医師から次のように言われたと報告する。

「私は解離についてはとてもよく勉強しています。そのうえで私の立場は、交代人格については扱わない、というものです。」

 このように告げられた患者は、最初から解離を信じないといわれるより、より一層当惑する可能性がある。それはその治療者がある意味では解離についての専門的な知識を備えているとみなすべき人だからだ。解離を熟知している専門家から交代人格とは会わないと言われた場合には、患者は自分の中の人格の存在そのものを否定されたと感じてもおかしくない。そしてそのような結果を招くということを考えれば、この段階にある治療者は、実は第1段階に近いことになる。それは依然として交代人格に現実性reality を見出さないことは変わらないからである。そしてその意味では社会認知モデルにも案外近いことになるだろう。

 このレベルについて私はかつて「解離否認症候群」という概念を提示したことがある。2015年に出版した「解離新時代」(岩崎学術出版社)でこれについて述べた際には、あまり学術的なものではなく、むしろ皮肉を交えた表現を試みたわけである。しかし私はそれを近著(「解離性障害と他者性」岩崎学術出版社、2022年)でも再び論じた。それはこの症候群に該当する治療者は依然として多いと感じたからだ。この症候群を有する治療者は6項目にわたる特徴を有するとした。

「解離否認症候群」にある人(主として治療者)は以下の主張をする。

1.  私は典型的なDIDに出会ったことは多少なりともある。

2.  私は「自分は自分がDIDである」という人たちにも何人か出会ったことがある。

3.  「自分がいくつかの交代人格を持つ」という人たちの主張は基本的に「アピール」であり、それ自体が彼らにとってのアイデンティティとなっている。

4.  そのような人たちへの最善の対処の仕方は、交代人格が出現した場合に、それを相手にしないことである。

5.  交代人格は、それを相手にしないことで、その出現は起きなくなる。

   6.  解離性障害、特にDIDはその少なくとも一部は医原性と見なすことができる。

  この1.は「私はDIDに出会ったことはない」とは決して言っていないというところがポイントだ。つまり実際のDIDの患者さんとの接触はあり、その意味では素人ではないと主張していることになる。また2.は、実際のDIDの方それにもまして多く接してきたのが自称DIDの方であり、それらの人々の訴えは3.で示すとおり、一種のアピール、自己主張であるにすぎない、とする。つまり本物ではないというわけだ。そして4,5で示すとおり、その最も有効な対処法は、それらの人を相手にしない、真剣に受け止めないという事であるとしている。この「相手にしない」という方針は実に効果的であることは確かなことだ。なぜなら一度相手にされないという体験を持った人格さんは、もう二度とその人の前には出たいとは思わないであろうからだ。

この解離否認症候群は一般の治療者に限らず、患者さんの家族にもみられることがある。この症候群を有する家族は、家族の一員が呈する解離症状を、それによりある種の得(いわゆる「疾病利得」)を求めたものであると考える傾向にある。その「得」には学校をずる休みする、仕事を怠けて休む、あるいは他人の同情を買う、などの様々なものが含まれる。