2024年4月8日月曜日

解離ーそれを誤解されることのトラウマ 3

  ここら辺がラカン派の理論で重要となると思うのだが、人間は象徴界に入ることで、その存在の中核部分において「構造的」な分離division を起こしており、それは治癒することがない。そしてその分離を起こすトラウマがより深刻である場合にDIDになるという理屈である。そして、ここもラカン派らしいのだが、すべての心の病はそこから発するというのだ。だから多くの論者が「人間は基本的に解離的だ」と主張する。そして以上の様に捉えると、ラカン派は解離に関しても(広義の)トラウマに関しても理解を示している(と言うか、説明可能としている)。そしてこれが「フロイト的—ラカン的視座 Freudian Lacanian perspective」と呼ばれるものだ。そしてこの見方は上述のような極端なSCM論者に対してもう少しそれを緩和するようなモデルを提供できると論じているのだ。

これを母子関係に焦点付けてみよう。親は他者の代表として、子供が象徴界に入るために臨む。子供はそれを自分のものとしなくてはならない。(the primary caretaker’s desire becomes the source of our own desire.) そして言う。主体は周囲の重要な人たちの願望に分断され divided、自分自身の意識的、無意識的願望によっても分断されている。このことをラカンはヒステリー性の言説 hysterical discourse と呼んだという。やはりね。この見方はかなり徹底した見方と言える。そして理屈にかなってもいるのだ。どうやってこれらに反駁できるだろうか?臨床的な観察を提示すること以外に。