解離の理解をめぐる歴史
少し遡って、解離に関する「誤解の歴史」なるものをたどってみよう。 (以下の論文を下敷きにする。)
Meganck,R. (2017) Beyond the Impasse – Reflections on Dissociative Identity Disorder from a Freudian–Lacanian Perspective. Frontiers in Psychology. Vol 8, SN 1664-1078
1990年代ごろには(そしてある意味では今でも)PTM(トラウマ後モデル)とSCM(社会認知モデル)の二つのモデルの対立があった。両者がお互いを論破しようとしており、両者には深い溝があった。PTMは多くの識者にとってより馴染み深いものであり、トラウマに耐えられなくなった主体が解離を用いてそれを乗り切るという理屈である。そしてそのトラウマとして考えられたのは最初は性的虐待であり、そこに悪魔崇拝儀礼虐待 Satanic ritual abuse が加えられるなどしたが、最近では愛着障害が中心テーマとなりつつある。
このPTMによれば、交代人格はトラウマの結果生じたということになり、治療の焦点はトラウマ、及び交代人格ということになる。ところがこの説に対する反論も聞かれ、例えば虐待により幼少時に交代人格が出来たはずであるが、子供におけるDIDの研究は非常に少ないという点などが指摘されているという。
他方のSCMは、DIDは医原性のものだと主張する。この説によれば、DIDはトラウマに起因するのではなく、文化的な役割のエナクトメント cultural role enactment 又は社会的な構成概念の産物 social constructions であるとする。そこでは治療者の示唆、メディアの影響、社会からの期待などが中心的な原因と考えられた。
ここまで書きかけたが、やはりSCMはいくらなんでも極端という気がするが、もう少し我慢するか。ある人の言葉を引用する。Spanos さんという、この種の論文を幾つか書いている人だ。「過去20年の間に、北米では多重人格は極めて知られた話になり、自らの欲求不満を表現する正当な手段、及び他者を操作して注目を浴びるための方便となっている。」(Spanos, 1994)。いくらなんでもこれは…。