2024年4月29日月曜日

解離-それを誤解されることのトラウマ 11 

 第一段階 解離性障害は存在しない(推敲)

 解離性障害に関する誤解や否認の第一段階は、そのような疾患ないしは状態は存在しないというものである。ただしこれは精神科医や心理士の間では表立っては聞かれないであろう。通常の専門知識を有した精神医療関係者であれば、「解離性障害」が米国のDSMやWHOのICDなどの世界的な診断基準に揚げられていることを常識レベルでは理解しているはずである。
 ただし専門家の間でもこの「解離性障害は存在しない」は現在でも存在する。それは解離性障害を医原性のものとして、ある意味では人工的に作り出されたものとする学説である。

Meganck,R. (2017) Beyond the Impasse – Reflections on Dissociative Identity Disorder from a Freudian–Lacanian Perspective. Frontiers in Psychology. Vol 8, SN 1664-1078)

手短に歴史を遡ろう。解離性障害が1980年にDSM-Ⅲに登場した後の1990年代になっても、解離性障害をめぐる二つの立場の対立が見られた。それらはPTM(トラウマ後モデル posttraumatic model)とSCM(社会認知モデル sociocognitive model)の対立である(Meganck, 2017)。
 このうちPTM(以下、トラウマモデル)は解離の治療者の多くに馴染のあるモデルであり、解離は早期のトラウマ体験に由来するものと理解する。ただしそのトラウマとして考えられたのは最初は性的虐待や悪魔崇拝儀礼虐待 Satanic ritual abuse などが考えられていたが、最近では愛着障害が中心テーマとなりつつあるという歴史的な変遷がある。このトラウマモデルによれば、治療の焦点はトラウマ及び交代人格の扱い方にあることになる。
  他方の社会認知モデルは、DIDは医原性のものだと主張する。この説によれば、DIDはトラウマに起因するのではなく、文化的な役割の再演 cultural role enactment ないしは社会が作り出した構成概念 social constructions であるとする。つまり治療者の示唆、メディアの影響、社会からの期待などにより人格が作り出されるとする。
 このモデルの代表的な論客である Spanos は以下の様に述べている。
「過去20年の間に、北米では多重人格は極めて知られた話になり、自らの欲求不満を表現する正当な手段、及び他者を操作して注目を浴びるための方便となっている。」(Spanos, 1994)。Spanos NP (1994) Multiple identity enactments and multiple personality disorder: a sociocognitive perspective. Psychol.Bull.116,143-165.

同様の主張は臨床家を対象として書かれている著書などにも見られる。エモリー大学准教授の Scott Lillienfeld (2007)らは社会認知説を擁護しつつ以下の様に述べる。彼らは「解離性同一性障害は、すべての診断の中で、議論の余地が最も多く残されている診断である」(p.88)とし、DIDの「標準的な治療業務では多くの場合、交代人格が現れるように促し、あたかも個々の交代人格にアイデンティティがあるかのように扱っている」とする。(邦訳 p.100)
 この立場はDIDの報告が近年急激に増えたこと、交代人格の数は、心理療法が進むにつれて増加する傾向がある、などを傍証とする。またDIDのの患者が治療を受ける以前に症状を示すことは極めてまれである、などをその論拠にしている。(114)

Lillienfeld,SO, Lohr,JM ed.(2003)Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. Guilford Press.
リリエンフェルド,SO.,リンSJ., ローJM. 編 (2007)巌島行雄、横田正夫、齋藤雅英訳 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房.

実は私は解離性障害についての様々な議論について、出来るだけ平等な立場から論じるつもりでいる。しかし社会認知説の誤謬性は、読むたびに私の想像をはるかに超えたものであると感じる。彼らの主張をひとことでまとめれば、それは「治療者が交代人格を生み出している」という主張である。
 しかし現実には患者自身が知らないところで別人格が出現し、それを周囲から指摘されるという構造である。そして多くは異なる人格の存在を隠そうとする。彼らはおかしな人と思われたくないからだ。そしてそのことはここのケースに虚心坦懐に触れればわかることである。社会認知説の主張の内容は、その論者がケースに触れていないで論じているということを表しているに過ぎない。
 ちなみにこの社会認知説に対する臨床家からの反論については、例えば以下のものが信頼がおける。

Gleaves DH.(2006) The sociocognitive model of dissociative identity disorder: a reexamination of the evidence. Psychol Bull. 1996 Jul;120(1):42-59.
Most recent research on the dissociative disorders does not support (and in fact disconfirms) the sociocognitive model, and many inferences drawn from previous research appear unwarranted. No reason exists to doubt the connection between DID and childhood trauma. Treatment recommendations that follow from the sociocognitive model may be harmful because they involve ignoring the posttraumatic symptomatology of persons with DID.
Lynn, S. J., Maxwell, R., Merckelbach, H., Lilienfeld, S. O., van Heugten-van der Kloet, D., & Miskovic, V. (2019). Dissociation and its disorders: Competing models, future directions, and a way forward. Clinical Psychology Review, 73, Article 101755. https://doi.org/10.1016/j.cpr.2019.101755

ただしそれでも驚くべきことは、現在においてもこの二つのモデルが対立しているとされているということだ。このことは真剣に受け止めなくてはならない。ほかの精神科疾患について同様の傾向が見られないのである。(たとえば「統合失調症や双極性障害は医原性である」という説が現在においても存在し得るかということを考えればわかるであろう。)