2024年3月27日水曜日

Jeremy Holmes の本 5

   この後「最節約」と「アトラクタ」の話になるが、両方ともとても重要だ。私にとってはアトラクタ、と言われるとすぐピンとくる。つまりその人が嵌(ハマ)っている考え、傾向、好みのことだ。たとえばロックミュージックはだいたい好きだが、その中でもクイーンの楽曲となると途端に関心を向ける、そのバンドの歌を聞くと急に覚醒する、勇気を貰う、などの状態の人はクイーンという狭く深い落とし穴のようなアトラクターを持つ。それでこの混とんとした現実の中でも情報に溺れることなく体験が成り立っていく。

 私達は普段ものすごい量の情報に晒されるが、それを最大に節約することでより意味のある生活を送れる。毎日たくさんの人に出会うが、自分にとって天敵となる上司の表情一つには特別に特化した注意を払う。スーパーに行っても数多ある商品には目もくれず、自分の好きなあのチョコレートの売り場に直行する、など。これが最節約原理 principle of parsimony (いわゆる Occam's razor) である。ある意味ではこれをやれるところが人間の脳の真骨頂と言ってもいい。AIではとてもこうはいかないからだ。
 この最節約化については、二つの方向に逸れる可能性がある。一つは節約しなさすぎ、もう一つはし過ぎである。単純化され過ぎたモデルでは非機能的になる。しかしその逆では環境の自分自身に持つ意味を判断しかね、「複雑性を刈り込めない inability to prune complexity」という問題が生じるという。これもいい表現だ。Pruning 刈り込みという言葉で連想するのは、シナプスの刈り込みである。これもまた節約の原理と関係しているわけである。
 さてこの次に出てくるのが、いわゆる愛着のパターンがこの問題に絡んでくるという説明である。未来予測をする私たちの脳を著者は「ベイズ予測装置」と呼ぶが、それにはいくつかのパターンがあるという。最適な応答を見せるのが、「安定型」、過大活性化を起こすのが「不安型」(不安、抑うつを招く)、過少活性化(リスクテイキングを招く)を起こすのが「回避型」だという。「棒か蛇か」の例が分かりやすい。適切に判断するのが「安定型」、なんでも蛇に見えてしまう「不安型」、なんでも棒に見てしまうのが「回避型」、というわけだ。なるほど。 それを本書では「ランかタンポポか」という例えを用いている。ランは特化した環境で大繁栄するが、環境の変化に弱い。それだけ環境のリスクに敏感ということだ。他方タンポポはだいたいどんなところにでも育つが、その分環境からの被害に対する注意も不十分で、その分環境の毒性を被るリスクにさらされている。
 そしてこの文脈で「ゴルディロックス注意」という言葉が出てくる。金融証券用語らしい。過熱しすぎでも閑散でもない 「適温相場」のこと。童話「3匹のくま」に出てくる「熱くもなく冷たくもないスープ」の例えに由来し、主人公の少女の「Goldilocks」という名前に由来するという。
 もう少し棒か蛇かの例を考えよう。極端に蛇を恐れる人は、なんでも蛇に見えてしまう。逆だとなんでも棒に見えてしまう。ここで棒とは、それで遊ぶおもちゃと考えよう。環境と適度に遊べて適度に恐れるゴルディロック的な予想をする人はインプットの幅をそれなりに広げるだろう。より面白いおもちゃが手に入るかもしれないからだ。そして環境から何が来るかという気持ちの準備については、「多分棒が来るだろうが、時々蛇も来るかもしれない」くらいのスタンスでいる。
  フリストンはこれが実際の神経系についても当てはまるという。例えば網膜には、視覚野からの下向性の錐体細胞(ニューロン)も、外界からの光を感知する上行性の錐体細胞もある。両者が適度にその情報量を絞り込むことで、ちょうどいい感じで両者が出会う。つまりすべてを蛇に見立てるということも、すべてを棒に見立てるということもなく、両方が上手くかみ合って興奮するような状況が出現する。それは実際に過去に蛇に遭遇した時の両方向性の錐体細胞が同時に興奮したパターンに近くなるだろう。

しかし本当によくできた理論だ。