2024年3月31日日曜日

Jeremy Holmes の本 9

 第6章 FEPとアタッチメント

 この項目についてはすでに論じて来たし、かなり理解が出来るはずだ。つまりインプット・アウトプットの活動は、愛着パターンに根差しているという議論である。愛着パターンとは例の「安定型B」「不安定回避型A」「不安定抵抗型C」「無秩序型D」の4つである。そしてこれは4つの「アトラクター」の議論でもあるのだ。
 その為の概念的な準備に関してHolmsが区別している二つの無意識の概念は重要だ。記述的無意識(ベイズ・アプローチが関与する種類のプロセス)と力動的無意識(苦痛や葛藤、破壊衝動に対して特定の気付きが侵食されていること)だという。こうやって「フロイトの無意識の概念にもそれなりの意味を持たせることが戦略的に見ても極めて重要なのである。(その意味でHolms
の試みは,フロイトの「肩の上に載る」ことが出来るのである。

 このフロイトの力を借りるという姿勢は、フロイトが脳科学とどのように格闘したかを説明することにもなる。Holmsはこういう。「ノルトフによると、フロイトが脳から心に移行した大きな理由は,当時の神経科学では外部からしか脳を記述できなかったのに対して、フロイトのプロジェクト(「科学的心理学草稿」のことを差すのだろう)が精神を内部から解剖しようとしていたことになる」(Holmes,p.114, 筒井訳、p.108)。
 つまりフロイトは脳から出発しようにも、そこには神経細胞しか見えなかった為に、いかなる有効な仮説も見いだせなかったということになる。(とはいえHomls のこれまでの論述からは、Friston の自由エネルギー論は、フロイトが垣間見た神経細胞と神経線維を見ただけで打ち立てた仮説は概ね間違っていなかったという前提に立っているのであるが。)
その意味では最近の神経科学の発展は、脳を内側から見ることに大いに貢献していることになる。例えばいわゆるデフォルトモードネットワーク(DMN)は白日夢やP空想 phantasising といった自己志向的 self-oriented 状態を支えている、という風に。
その上でHolmsはボウルビーやエインズワースらの愛着の議論による功績をたたえる。これはHolms自身が愛着をそもそもの関心の出発点としたからだということが言える。(Homls の初期の業績にボウルビーに関するものがある。)そこではボウルビーが自分自身が訓練を受ける中で「頭を抱えていた」ことは、精神分析が、心理的な苦痛が形成されるうえで環境の重要性を軽視する傾向にあったということだという。そしてボウルビーは治療者は知的な解釈ではなく、安心基地 secure base を提供することだと考えていたことである。