2024年3月21日木曜日

「トラウマ本」 共感の脳科学 加筆部分 1

  ちなみに共感と言えばまずCarl Rogersの名前が浮かぶ。彼が「来談者中心療法」の文脈で1950年代から共感の重要性を説くようになったが、Freud は共感について特に扱わなかったことは述べた。しかしFreud以降は精神分析の世界では共感をどのように扱って来たのか?

 奇しくもRogers と同時代にシカゴで活動をしていたHeintz Kohut は1957年に「内省、共感と精神分析」を発表した。共感の重要性を説く、かなり画期的な論文だったが、精神分析の世界にあまり波紋は与えなかった。それは何よりその理論がそれまでの精神分析理論とはかなり異質だったからだ。それはどのような意味だろうか?
 Kohutはその論文で「共感は身代わりの内省である」と定義した。内省とは自らの心の中を振り返る事であり、そうなると共感とは基本的に意識野の体験をさす。私達は意識にないことを「内省」は出来ないからだ。つまりKohutは無意識ではなく意識的な体験の重要性を説いたことで、精神分析の理論とはみなされなかったのである。このことにKohutは当惑したが、その後自論を展開して「自己の分析」(1961年)を発表した。精神分析会の権威たちからは当然のことながら黙殺された(後に詳述)。Kohutの共感についての理論は、当の精神分析の世界では少なくともオーソリティたちからは決して「共感」してもらえなかったのである。


市民権を得た「共感」



 その後の精神分析においては共感は、Kohut理論とは別に、いわゆる「支持的療法」における一つのアプローチとして位置づけられて行った。しかしその支持的療法自体が、精神分析の世界では精神分析の本流からは外れた技法であるとして、長い間軽視される傾向にあったのである。

ここに示した図はGabbard による表出的-支持的スペクトラムであるが、支持的な極に近いところに「共感的支持」という項目を見て取ることが出来る。