過誤記憶を助長するいくつかのファクター
このように人工的に成立し得る過誤記憶は、幾つかのファクターにより助長されることになる。そのいくつかを以下に示そう。
催眠による働きかけ
催眠は想起された記憶と虚偽記憶というテーマで欠かせない。テレビ番組などで催眠術者が被験者に深い催眠をかけ、彼がそれまで思い出すこともなかった子供時代のあるエピソードについて滔々と語るというようなシーンを見た方もいらっしゃるかもしれない。これは実際に可能なのだろうか?
ある研究によれば、アメリカの大学生の44%はそのような現象を信じているという。ところが研究結果はその実証性を示してはいない。いわゆる退行催眠(催眠状態で年齢を遡らせる施術)による実験でもその信憑性は疑わしいとされる(Shaw, 2016)。
ボストン大学のセオドア・バーバー(Barber, 1962)によれば、1962年の研究で、退行催眠をかけられた被験者の多くが、子供の様なふるまいをし、記憶を取り戻したと主張したという。しかし詳しく調べてみると、その「退行した」被験者が見せた反応は、子供の実際の行いや言葉、感情や認識とは一致しなかったという。
バーバーの主張によれば、被験者たちには子供時代を追体験しているかのように感じられたのだろうが、実はその体験は再想起された記憶というより、むしろ創造的な再現だったという。同様に、心理療法中に暗示的で探るような質問に催眠術を組み合わせると、複雑で鮮明なトラウマの過誤記憶が形成される可能性があるという。
以上が一般の心理学における一つの見解であることは了解したとしても、一つの重大な問題が生じる。退行催眠が可能な人のいったい何人に、DIDを有する人が混じっている可能性があるのだろうか?そもそも催眠にかかりやすい人としては、結局解離性障害を有している人を多く拾ってはいないだろうか? この問題は本論稿の最後に改めて論じることにしよう。
洗脳
洗脳は最近ではむしろそのネガティブな印象を避けるために感化 influence という表現を用いることの方が多い。この感化は、実は私たちが日常的に多少なりとも体験していることでもある。私たちは「自分は洗脳などされてはいない」と思いがちである。しかしこの日本という国に生まれてごく当たり前に生きているだけで、すでに数多くの考えを前提とし、あるいは信じ込んでいるものだ。
信仰などはその一例となり得るが、国際問題、自然環境問題、防衛問題など社会的な論争を引き起こすあらゆるテーマにおいて、私たちは多くの場合一定の立場を取っており、それと異なる立場の主張に関しては、誤った主義主張に感化された状態と見なす傾向にある。このように考えれば私たちのほとんどが、ある種の洗脳状態にあるのである。ここで一つ確かなことは、私たちはある考え方をいったん受け入れると、それを無自覚的にかなり頑強に守るという傾向があるということだ。それらのうちいくつかは洗脳ないし感化と同等の現象といえるだろう。
ちなみにこの感化には報酬系が深く絡んでいると見なすことが出来る。かつて日本社会を震撼させたある教団の元信者がインタビューに応じるのを見たことがある。彼は刑に服した後も、元教祖との間柄について問われると、陶然とした表情になり、いかに元教祖に自分を受け入れてもらい、生きる目標を与えられたかを熱心に語り始めた。つまり洗脳状況ではある思想や思考を持つことは強烈な快感でもあるという意味で、一種の嗜癖と考えてもいいだろう。だからそこからなかなか逃れられないのである。
サブリミナル効果
サブリミナル効果とは意識に上らない程度の刺激を与えられることで、人間の行動に変化が生じるという現象を指す。下記の1950年代の有名な実験以来、このテーマの研究は色々行なわれているが、それでも今後その詳細がさらに明らかにされていくべき現象である。しばしば例に挙げられる1957年のジェームズ・ヴィカリーの調査とは次のようなものだ (Shaw, 2016) 。彼は米国ニュージャージー州のある映画館で上映中のスクリーン上に、「コカコーラを飲みなさい」「ポップコーンを食べなさい」というメッセージが書かれた映像を1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し映写したという。するとコカコーラについては18.1%、ポップコーンについては57.5%の売上の増加がみられたとのことである。この実験は大きなセンセーションを巻き起こしたが、後に追試された同様の実験ではそのような効果はなかったとされる。1958年2月に、カナダのCBCが行った実験で、ある番組の最中に352回にわたり「telephone now(今すぐお電話を)」というメッセージを一瞬だけ映してみたが、誰も電話をかけてこなかったという。さらには放送中に何か感じたことがあったら手紙を出すよう視聴者に呼びかけたが、500通以上届いた手紙の中に、電話をかけたくなったというものはひとつもなかったというのだ。後になりヴィカリーは、アメリカ広告調査機構の要請にも関らずこの実験の内容と結果についての論文を発表せず、また数年後にはヴィカリー自身が「マスコミに情報が漏れた時にはまだ実験はしていなかったし、データも不十分だった」という談話を掲載したという。また一部にはこの実験そのものがなかったという指摘もされているという。