2024年3月12日火曜日

脳科学と臨床心理学 第1章 加筆訂正部分 1

 脳とコンピューターの比喩

さてここで精神分析と脳科学の関係を表すうえで、一つの比喩を示しておきたい。なぜ私が精神分析と脳科学に、おそらくは別々な意味で矛盾なく興味を感じるかについて、一層理解していただけるであろうからだ。

私の用いたい比喩とは、コンピューターに関するものだ。それは精神分析と脳との関係はコンピューターのソフトウェアとハードウェアとの関係のようなものだというものである。分かりやすく示しておこう。

  • 脳(物理的な機械) = ハードウェア

  • 精神分析(心についての理論)= ソフトウェア

 ちなみにソフトウェアという言葉の定義もここに書いておく。

ソフトウェア(: software)とは、「コンピューター分野でハードウェア(物理的な機械)と対比される用語で、何らかの処理を行うコンピュータ・プログラムや、さらには関連する文書などを指す」(大辞林、ブリタニカ国際大百科事典)

イメージとしてはこうだ。脳とはいわば臓器であり、1300グラム程度の肉塊である。そしてそれは私たちが体験的に知っている心の働きを生む。それは脳の中で起きる情報交換であり、それについての解説ということになる。脳のトリセツ、という言い方をしてもいい。

分かりやすく言えば脳というコンピューターのハードウェアに、心やその動きについての解説というソフトウェアがインストールされているというイメージである。そして精神分析は、その優れた解説書の一つというわけだ。パソコンやIT関係に非常になじみ深くなっているはずの読者なら,容易に納得していただけるのではないか。そして私の関心は過去40年の間に,精神分析というソフトウェアについての解説書から脳というハードウェアそのものに移ってきたわけである。

この発想は私の中では結構新しいものだ。私が精神科医になった1980年代前半は汎用性のあるパソコンそのものが存在しなかった。後にハードウェアとかソフトウェアとかの用語や概念を用いるようになってから振り返り,そのような比喩を思いついただけである。そしてその意味での心のソフトウェアとしては,精神分析理論が最も出来栄えがいいものと、少なくともその当時はみなしていたのである。
 もちろん心は非常に巧妙かつ複雑に作られており,もちろんそのソフトの作者は「神のみぞ知る」存在としか言いようがない。しかしそのあり方を解明することが心を理解することに繋がり,そのソフトウェアの本質にかなり接近しているものとして,精神分析に興味を持ったのだ。

他方ではハードウェアとしての脳について私が当初は興味を持たなかったのも無理もないと言える。それは私達がコンピューターに寄せる関心と似ている。ゲームや映像などのソフトウェアは関心を向けても,それを動かすハードウェアとしてのパソコンのCPUやRAMやハードディスクや,それらをつなぐ細かな配線に同様の関心を示す人は少ないだろう。