2024年3月10日日曜日

「トラウマ本」 トラウマと記憶 加筆修正後 3

   米国では1992年にイノセンスプロジェクトという非営利団体が作られ、DNA鑑定などをもとに冤罪の濡れ衣を着せられた人たちについて調査をしている。そしてこれまで337人ほどを釈放させたという。それらの例の少なくとも69パーセントで、「目撃者」たちによる過誤記憶に基づく証言が有罪の根拠とされていた。ただしこの数字は米国においてDNA鑑定が出来るようになって以降の事件に限ったものであり、それ以前に存在した可能性のある冤罪は計り知れないという(Innocence Project の英文ホームページより)。そして同様のプロジェクトは他の諸外国にも広がっているという。

 これらの冤罪の例は過誤記憶がいかに深刻な被害を及ぼすかの極めて具体的な例と言える。しかもそれはあからさまな過誤記憶、つまり無から創り出されたような、ある意味で「純粋」な過誤記憶のみが関与しているとは限らない。それまで曖昧であった記憶の確からしさの感覚が増強されることによる、いわば「自己欺瞞的」な過誤記憶(後述)もそこには関与している。
  私たちの心は「Aさんだったような気がする」という記憶を「Aさんだったことは確かである」に知らず知らずに変えてしまう傾向を多かれ少なかれ有している。より多くの冤罪の被害者を救うためにも、この「蘇った」過誤記憶の問題を明らかにして行くことは急務なのである。

 記憶の脳科学と再固定化の問題

蘇った記憶や過誤記憶について理解するにあたり、記憶が脳でどのように形成されるかについて知っておく必要がある。その際有用なのがいわゆるニューラルネットワークモデルに基づく理解である。このモデルでは人間の脳が一千億ともいわれる膨大な数のニューロン(神経細胞)による網目状の構造をなしていると考える。そこでの情報処理過程が心の活動という事になる。そして過去の出来事を想起することとは脳に分散されて存在する数多くのニューロンが結び付けられてネットワークを形成し、同時に興奮する現象という事になる。

私達がある出来事を経験すると、特に強く感情が動いた際には海馬や扁桃体にその記憶の核となるネットワークが形成される。それが記憶の形成の始まりだが、それは既に存在していたニューロンの間の結び目(シナプス)がより太いつながりを持つことで可能となる。具体的にはそのシナプスを形成する材料となるタンパク合成が行われるのだ。
 土木工事を思い浮かべよう。ある川の幅を広げるためには、ブロックなどの建材を積み上げる作業が必要であるが、記憶の際のシナプス形成も同様である。このことは、動物実験においてある学習をさせる際にアニソマイシンなどのタンパク質合成阻害薬を投与することでそれが阻害されるという研究結果から明らかになった。そして土木工事でブロックを積み重ねるのと同様、タンパク合成にはある程度の時間を要するために、記憶は一瞬にして成立することはない。またあらゆるインフラストラクチャーに経年劣化が見られるのと同様、想起されないことでシナプス結合は徐々に劣化し、失われていくという性質を持つのである。

 このモデルに従って、ある事柄を想起するとはどういうことかを考えよう。例えば高校の卒業式のことを私たちが「覚えている」と感じるとする。私自身にもかすかに記憶がある。するとその時体験した様々な事柄、「仰げば尊し~♬」のメロディー、クラスメートとの別れの握手や先生方の笑顔などが次々と浮かんでくるだろう。それは視覚的情報、聴覚情報、触覚情報などあらゆる感覚様式によるものを含むが、それらは脳の視覚野や聴覚野、体制感覚野など様々な部位でバラバラに蓄えられている。そしてある事柄を想起するとは、それらが一挙に一つに結びつけられている状態と見なすことが出来るのだ。

ここで物事の想起される過程を説明するのが「活性化拡散モデル spreading activation model」(Collins & Loftus, 1975) と呼ばれるものである。これは想起とはある一つの事柄からの連想という形で波紋が広がるようにニューロンが活性化されていくという現象であることを示す。上の卒業式の例では、思い浮かべた友達の一人に意識を向けると、今度はその友達に関する様々な思い出がよみがえるというわけである。これはある事柄の記憶内容に一定の限界を想定しにくいという事も意味する。一つの記憶の想起により派生した連想も、その想起内容に含み込まれていくというプロセスを想像するとわかる通り、そのネットワークのすそ野は知らぬ間に広がっていく可能性があるのだ。

この想起と記憶の改変に関して最近明らかになったのが、いわゆる「記憶の再固定化」という現象である。これについては東大の喜田聡先生のグループの研究が有名である。喜田グループ(Fukushima, et al, 2021)はPTSDで生じるようなフラッシュバックと記憶との関係について長年にわたって研究してきた。フラッシュバックとはトラウマ的な体験を持った際にその出来事を思い出そうとしなくても突然何かのきっかけで生々しく想起されるという現象である。
 そしてそこでこの「記憶の再固定化」という現象を見出した。記憶はそれを思い出すという事で一時的に「不安定」になる。つまり可塑的になり、それがその後さらに増強される(より強く記憶される)か、消去される(忘れていく)かの岐路に立たされるというのである。
 ジグソーパズルの比喩を用いるならば、それまでパズルの一つのピースとして収まっていた記憶が、それを思い出すことでいったん外されると考える。するとその縁の部分が柔らかく可塑的になるのだ。そしてそれがその後元のパズルによりガッチリはめ込まれたり、逆に少しゆるゆるになったり形を変えたりしてはまりにくくなったりする。場合によっては小さくなって抜け落ちてしまうかもしれない。こうして記憶は想起されることで、その後新たな形で脳内に再び治まる(再固定される)のだ。
 喜田グループによれば、記憶が更に強く再固定されるか否かを決定する上で重要な役割を果たすのが、そのピースが外されている(想起されている)間の時間であるという。彼らはマウスを明、暗の二つの檻に入れて嫌悪刺激(電気ショックなど)を与えるという実験を行なった。そしてその嫌悪刺激を思い出させる時間が3分以内などの短時間であれば、それはかえって増強されるのに対し、それが適度に長いと(例えば10分以上)マウスはその記憶を失う傾向にあることを発見したのだ。
 この動物実験により示された記憶の再固定化という概念は記憶と想起に関する重要な示唆を与えてくれる。一つには私達の記憶は、それを想起するごとに徐々に形を変えていくという可能性を示していることになる。いわば伝言ゲームで最初の言葉が変形していくように、記憶も思い出されるたびに一部が誇張され、一部が薄れていくという形で、当初の体験とは多少なりとも変形されていくという可能性を示しているのだ。
 これはとりもなおさず、過去の記憶が「誤って想起される」という可能性を如実に示していることになる。しかもそこに他者からの暗示や新しい情報の追加ということも特になく、ただ何度か思い返すということをしているうちに徐々にその内容が歪曲されていくという形で生じるとすれば、本人にもその自覚がなく、常に同じ記憶を思い出しているに過ぎないという感覚しかないであろう。
 さらにマウスに嫌悪刺激を与える実験は、臨床的にとても大きな意味を持つことになる。ある種のトラウマ記憶を短時間思い出しただけではそれは消える方向にはいかない。むしろ再固定化、つまり増強されてしまうのだ。そこでどうせ思い出すなら、安全な環境で一定以上の時間思い出す必要がある。するとそのトラウマの記憶が今現在の安全な環境においては起きていないという事を脳が学習し、それによりそのトラウマは弱まっていく(消去される)ものと考えられる。そしてこの考え方が持続的暴露療法の基本になっている。