2024年3月9日土曜日

「トラウマ本」 トラウマと記憶 加筆修正後 2

 私は米国においてPTSD(心的外傷後ストレス障害)や解離性障害についての関心が高まるさなかの1980年代の半ばより米国で精神科の臨床に携わっていたが、その頃米国で生じていた記憶をめぐる論争の過程をよく思い出す。1980年代には多くの女性や子供が、それまで一般的に考えられていたよりはるかに高い頻度で性的、身体的なトラウマの被害者となっていたことが明らかにされた。その結果としてベトナム戦争等で戦闘体験を有した人や性被害の犠牲者となった人々が示すPTSDや解離性障害が数多く報告されるようになった。そして社会が、医療従事者達が従来はそれらのトラウマ関連障害の存在を軽視したり無視したりしたことへの反省があった。

 それから米国社会では幼少時のトラウマの事実やその記憶を治療により明らかにすべきであるという主張が多く聞かれるようになった。そして幼児期の性的虐待の記憶を呼び覚ますことを試みる精神科医や心理士やソーシャルワーカーが沢山現れた。その結果として数多くの人々が性的虐待の加害者であったと告発されることとなったのである。
 その様な動きに一役買ったのが1988年に出版されたエレン・バスとローラ・デービスによる「生きる勇気と癒す力」(Bass & Davies, 1988)という著書である。この書は幼児期に性的虐待を受けて、その記憶を抑圧しているために忘れている可能性が高い人々が該当するようなチェックリストを示した。
 1992年にはハーバード大学のジュディス・ハーマン(Herman, 1992)が「心的トラウマと回復」を著しベストセラーとなった。その書でハーマンは、幼少期のトラウマによって自責や自殺願望に苦しめられている女性たちを救うためには、「抑圧された記憶」を回復させることが必要だと説いた。ハーマンの著書はわが国でも阪神淡路大震災の翌年の1996年に翻訳されて出版され、大きな反響を呼んだ。
 ところがそれからワンテンポ遅れる形で出てきたのが、いわゆるFMS (false memory syndrome 偽りの記憶症候群) をめぐる動きであった。そして治療により蘇ったとされる記憶の中には、客観的な根拠のない、あるいは事実と異なる過誤記憶が多く含まれるという問題に対する注意を喚起した。その関連で誤って加害者として糾弾された犠牲者たちによる利益者団体がFMSF(偽りの記憶症候群財団)も生まれた。

欧米においてはこの種の問題は極めて政治的、ないし感情的な対立を生む傾向にある。そしてその対立や論争の中で、記憶に関するより科学的で実証性のあるデータが得られるようになったことは否めない。少なくともこのFMSFをめぐる論争を通して、私たちはこれまで記憶に関して漠然と信じられてきたことがらについての再考の機会を与えられたのである。 
 この過誤記憶の問題について決まって引き合いに出させる学者がElizabeth Loftusである。Loftus は過誤記憶がいかに形成されるかについての基礎的な研究を精力的に行い、それが臨床においても司法においても極めて甚大な被害を及ぼすことを積極的に説いた。ロLoftusの主張をKetchamとの著書「The Myth of Repressed Memory : False Memories and Allegations of Sexual Abuse. (邦訳:抑圧された記憶の神話」(1994年)」から要約すると以下のようになる。

「私は記憶の変更可能性についての権威だとみなされている。私は色々な裁判で証言してきたが、裁判に携わる人にこう警告してきた。記憶は自在に変化し、重ね書きが可能で無限に書いたり消したりできる黒板のようなものであると考えられてきた。比喩的に言うならば、コンピュータ・ディスクや、書類キャビネットに大切に保管されたファイルのような形で記憶が脳のどこかで保持されていると誤解されてきたのである。ところが最近では、記憶は事実と空想の入り混じった創造的産物だと考えるようになった。これが記憶の再構成的モデルと言われるものである。」

Loftusの批判は、抑圧された幼少時の性的外傷が治療により想起されるべきであるという立場を取った臨床家、特に「トラウマと回復」のハーマンなどに向けられた。このHermanとLoftusの論争は、トラウマ記憶の回復をめぐる論争や対立を象徴していたと言えよう。そしてLoftus自身も2003年に、Nicole Tausをケーススタディとして扱った2002年の出版物に対し、Taus自身に訴えられたという。
 この出来事はTaus が幼少時に性的虐待を受けたという記憶を取り戻したという1997年のケース報告に関するものであった。このケース報告(Jane Doe case)は幼児虐待と抑圧された記憶の研究において大きな影響力を持っていたが、Loftus はそれが過誤記憶であるという研究を2002年に発表したという経緯がある。その訴訟についてはLoftusに対する21の訴状のうち20は退けられたという。しかしそれ以後もLoftusの過誤記憶についての理論は児童虐待を糾弾すべしという運動の社会的な広がりを軽視したり否定したりする立場として批判された。そして「幼児と女性に対する犯罪を擁護する学者」とされて脅迫も相次ぎ、一時期は殺人予告もうけ、講演の際はボディガードを付けていたと言われる(Jenkins, 2017)。