改めて問う。男性は不感症だろうか? すでに述べたとおり、私はそうとまでは言えないと思う。それはもちろんある程度の快楽を与えてはくれる。しかし男性の性的な欲求は、それが楽しさや心地よさには必ずしもつながらず、ただエクスタシーを求めて突き進むというところがある。そしてこれは身も蓋もない言い方だが、「排泄」のようなところがある。このような性質をもう少し学問的に表現するならば、男性の性的満足の機序は、嗜癖モデルに似ているのだ。さらにはいわゆる incentive sensitization model (ISM)(インセンティブ感作理論、Berridge & Robinson, 2011)に従った理解をすることが出来る。これはどういうことか?それは次のように表される。
嗜癖行動においては、liking (心地よく感じること)よりも wanting (渇望すること)に突き動かされる。男性の性愛性が嗜癖に近いとすれば、それは渇望に近く、それは心地よいから、という事がより少なくなり、一種の強迫に近くなる。そしてある種の性的な刺激が与えられると、このwanting だけが過剰に増大する一方、それは liking には大きな変化を及ぼさない。
すると例えば女性の姿をみるという事が切っ掛けとなり性的な衝動が生じると、それを容易に止めることが出来ないという事態が生じる。
Berridge, K. C., & Robinson, T. E. (2011). Drug addiction as incentive sensitization Addiction and responsibility, 21-54. The MIT Press.
ここで問題なのは男性が性的満足を追求する時、目の前の対象と共に心地よさを追求するということからはどうしても逸脱する。そしてこれはある意味では女性をモノ扱いすること objectification に繋がるのだ。
ちなみにこの理論、いわゆる「ドーパミンか? ヒア・アンド・ナウ物質か?」の議論にもつながる。私がよく引用する著書をここでも示す。そこでの趣旨は、ドーパミン系においては、常に将来を、常にもっと!を求める。他方では、ヒア・アンド・ナウ(今、ここ)の満足を与える物質はセロトニン、オキシトシン、エンドルフィン、カンナビスである。