2024年1月25日木曜日

脳科学から見た子供の心の臨床 (1)

小児精神神経学会での講演、論文で提出せよ、とのことである。トホホ。

 はじめに

 近年愛着期において母子間で起きている現象を脳科学的に捉えることが可能になっている。特に子供の右脳の機能及び母子間の右脳どうしの関わりについての知見は、その後の精神発達及びその問題について大きな示唆を与えてくれる。本発表では、脳科学的な見地からの愛着理論は、精神分析的な愛着理論、特にウィニコットの理論の先駆性を見ることができること、そしてその臨床への応用が可能であるという点について論じたい。

 まず前提として述べておきたいのは、近年の愛着理論への注目は、トラウマ理論の発展・深化と深く結びついていたということである。1970年代に始まったPTSDに関連したトラウマ理論は、トラウマをいわば「記憶の病理」と捉えていたが、その際はトラウマに関する記憶は海馬の成熟を前提としていたことになる。ところが近年問題になっているのは、言葉や記憶が生まれる以前の愛着の時期に生じたトラウマである。その時期のトラウマは深刻であるにもかかわらず、最近までトラウマの文脈では語られなかったのである。愛着障害の二種(反応性愛着障害、脱抑制型対人交流障害)がトラウマ関連障害に含まれるようになったのは、2013年に発刊されたDSM-5以降であることを思い出したい。

 このような動きに大きな貢献をしたのが、「愛着トラウマ」という概念を提唱したアラン・ショアであるが、実はこの問題の先鞭をつけたのは、ウィニコット以外にも前世紀の前半に登場したルネ・スピッツやジョン・ボウルビイである。そして精神分析の造詣も深いショアの業績は、これらの分析理論と脳科学を直接結びつける事となったのである。

 

愛着理論の先駆者としてのウィニコット


 ここで精神分析家であるウィニコットがなぜ愛着理論の先駆けとなっていたのか、と不思議に思う向きもあろう。そもそも精神分析の祖であるフロイトは愛着の問題にはあまり言及せず、エディプス期以降の人間の心を欲動論的に論じた。そしてエディプス期以前の前エディプス期や愛着段階についての考察は後の分析家たちに委ねられたのである。しかしウィニコットは分析家ではあっても、フロイトとは全く対照的な志向性を持った臨床家であった。彼の関心の対象は明確に、人生の最早期に向けられていたのである。それは以下のような彼の主張にも表れている。

「満足な早期の体験を持てたことが転移により発見されるような患者[神経症の患者]と、最早期の体験があまりに欠損していたり歪曲されていいた患者[精神病、ボーダーラインの患者]を区別しなくてはならない。分析家は後者には、環境におけるいくつかの必須なものを人生で最初に提供するような人間とならなくてはならない。」([]内は岡野の注釈。)

 Winnicott, Hate in the Countertransference,international Journal of Psycho-Analysis, 1949;30:69-74.

つまりフロイトが治療の対象とした神経症圏の患者と異なり、ウィニコットは早期の愛着関係における母子関係においてトラウマを体験した患者たちに関心を向けていたのである。

 このフロイトとウィニコットの人間の心に関する関心の違いはどこから来るのかはわからない。私の考えでは、神経症においてはその成因には極めて複雑な神経学的なプロセスが絡んでいる可能性があるのに対し、愛着期のトラウマと精神病理との関係は比較的観察しやすいという事情が関連しているからではないかと思う。そしてそこで大切なのは臨床的な観察眼であり、そして思えばウィニコットのこの時の慧眼は現在の脳科学的な研究をはるかに先取りする域に達していたということが出来るであろう。

 そこでウィニコットが考えていた最早期のトラウマとはどのようなものであったかを考えよう。注目すべきは彼が、乳児の絶対的依存の段階において「母親の防護障壁としての役割が侵害されること」をトラウマと定義づけたということである。それはのちに弟子のカーン M.Khan(1963) が累積外傷 Cumulative Trauma として概念化したものであった。そのカーンが言ったように、その防護壁とは、結局母親の世話であるという。ではウィニコットはその段階で何をトラウマと考えたのであろうか。彼はそれを「母親の鏡の役割」と表現した。を強調し、それが損なわれることがトラウマであると考えた。

 以下にウィニコットの「「遊ぶことと現実」に「母親の鏡としての役割」(Winnicott, 1971)における論述を追ってみよう。彼によると、乳児は促進的な環境により、抱えること holding 、次に取り扱うこと handling、そして対象を提供することobject-presenting を提供されることを通じて発達していく。その中でも最初期の抱えること holding により支えられている絶対的な依存においては、母親は補助的な自我機能を提供し、そこでは赤ん坊は me と not-me は区別されない。その区別は me の確立なしにはできないのだ。 

Winnicott, DW.(1971)Mirror-role of Mother and Family in Child Development. in Playing and Reality.

「(乳児が自分を見出す)鏡の前駆体は母親の顔である。・・・しかしラカンの「鏡像段階」は母親の顔との関係を考慮していなかった。」(p.111)

「最初は乳児は母親に抱えられて全能感を体験するが、対象はまだ自分から分かれていない。」

この論文が当時ラカンにより書かれた鏡像段階に関する論文を意識して書かれたものであるという点は興味深い。(そしてラカンの関心の方向性との違いもまた面白い。)そこでウィニコットはちょっと謎めいたことを言っている。それは母親は乳児を映し出す、という事だ。

「乳児は母親の顔に何を見出すのか?それは乳児自身なのである。母親が乳児を見つめている時、母親がどの様に見えるかは、彼女がそこに何を見ているかに関係するのだ。」(p.112)

ウィニコットは続けて言う。

「私の症例では、母親は自分の気分を、さらには自分の硬直した防衛をその顔に反映させる。」「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ないのだ。」(p.112)

 この概念は分かりづらいが、それは彼が言葉や記憶以前の世界を描いているからであったと考えられる。そして母親が子供を、ではなく自分をそこに映している、という言い方である。これはちょうど精神分析において治療者が患者からの転移を解釈するのではなく、自分の個人的な感情を反映させて逆転移のアクティングアウトを示してしまうような場合になぞらえれば理解しやすいであろう。

 このウィニコットの提起したこの「母親の鏡の役割」の重要性は、愛着理論における情動調律やメンタライゼーション理論に継承された。例えば発達論者は養育者によるミラーリング(乳児の情緒をまねること)は子供の自己発達において鍵となる(Fonagy, ら p.81.)。(Meltzoff, Schneider-Rosen, Mitchell,Kohut, Winnicott)

ところでこのウィニコットの考えは、その後分析家ピーター・フォナギーなどに引き継がれている。今回の学会のメインテーマは「愛着とメンタライゼーション」となっているが、フォナギーこそが精神分析と脳科学を融合した人物(のひとり)だったわけである。そして彼はウィニコットが言った情動のミラーリングの障害を、より詳細なプロセスで論じている。彼は母親の情動のミラーリングの障害を分類した。

(1)子供の陰性情動に圧倒された母親がそれを消化せずにそのまま表情に表す場合・・・乳児はそれを母親から切り離して自分のものとすることが出来ず、他者に属するものとみなす。こうして情動の調節は行われずにトラウマが生じる。 

(2)母親が乳児の情動を(例えば陽性情動を攻撃性と)読み違えると、乳児はそれを取り入れて「偽りの自己イメージ」(よそ者的自己) を作り上げる。

この(1)がウィニコットの述べた「その様な場合赤ん坊は母親の顔に自分自身を見ることが出来ない」という体験に相当すると考えられる。