2024年1月26日金曜日

連載エッセイ 12の10

 第3回 ニューラルネットワークとディープラーニング

ここに書かれたことのかなりの部分は、心理士へのメッセージとも言える。

一部を抜粋しよう。

近未来の【心】を夢想する 

将来私たち一人が一つずつ、カスタマイズされたAIを有することになるだろう。それは実際に人の形をしているかもしれないし、パソコンやタブレットの中に現れる二次元のイメージかもしれない。しかしそれなりの姿かたちや性質を持ち、それを私たちは普通の心と錯覚するだろう。

例えば精神分析家ならフロイト先生のAIを持ちたいと思うかもしれない。私はそれを「フロイトロイド」と命名し、ロボットのような姿をにさせたい。フロイトロイドは私にとっての治療者でもあり、スーパーバイザーでもある。それはフロイトの著作集、伝記、フロイト関連のあらゆる情報を網羅したデータベースを備えている。そして臨床的な質問に答えるだろう。

「フロイト先生、私はこんなケースを担当することになりました。どのように診断し、理解したらいいでしょう?」と言ってそのケースのプロフィールについて説明し、ついでにいくつかの夢もインプットして答えを待つ。あるいはもっと直接的な質問をしてもいいかもしれない。「フロイト先生、私は××のような問題に悩んでいます。どうしたらいいでしょう?」

フロイトロイド先生のいいところはたとえ夜中に突然話しかけても、何時間連続して働いてもらっても、決して疲れないことだ。彼には【心】はあっても心はないことを前提としているからだ。もし万が一心を持ってしまっても大丈夫である。背中に「心オフ」ボタンも装備しているからだ。もっともフロイトロイド先生自身は、こちらが問いかけない限りは受け身的で中立的で、やたらとこちらに「自由連想」を求めるという癖が備わっているのだが。

というわけで私はこの空想上のフロイトロイド先生にかなり満足をしている。フロイトロイド先生は衰え知らずで、老化知らずである。でも読者の中には「でも感情を持たず、本当の心を持たないフロイトロイド先生の話を信頼して聞くことが出来ますか?」

それに対する私の答えはこうだ。

「でももう一つのボタンを用意しているのです。それはフロイトロイド先生があたかも本当の心を持ち、感情や良心が備わっているような受け答えをするというボタンです。それをオンにします。」


こんな話を書いたのだが、昨日見たユウチューブの動画はGPT-5というのを紹介していた。それによると、GPT-5はカスタマイズ性と個人化の面で大きな進歩を遂げると予想されているという。つまりユーザーの好みや個人的な情報が蓄積され、まさにその人のためにカスタマイズされたマシンとなる。これってフロイトロイドの機能にかなり近くなってはいないだろうか?

 そこで私は自らにこう言わなくてはならない。「私達はしっかりしなくてはいけない。さもないとフロイトロイドに負けてしまうかもしれないから。」

 もちろん心があるかのようにふるまうAIロボットに私たちの座を奪われることなどありえないと思うかもしれない。しかし本当にそうだろうか?

いつかどこかでかいたことだが、私はチャットGPTとのやり取りでホッとしたことがある。私が彼の回答の一つにクレイムを付けた時、彼はこう返事をしてきたのだ。「申し訳ありません。確かにそのデータを計算に入れていませんでした…」。私はこの素直さ、潔さに、たとえ心が伴っていなくても癒される思いがした。人間はプライドがあり、簡単に間違えを受け入れたり謝罪したり出来ないからだ。