2024年1月18日木曜日

家族療法 エッセイ 3

 ではなぜ母親が子供に固執し、子供はそれを疎ましく思うのだろうか。思うに親は(自分の父親としての体験から察するに)子どもはどんなに大きくなっても、それは「仮の姿」だと思うのである。では本当の姿は、というといたいけなか弱い、おそらく3,4歳のころの姿である。それがたまたま成長しただけなのだ。これを転移という言葉で表すなら、親は子供に3歳のころの気持ちを常に持ち続ける。それがいくらたっても消えないのだ。それに比べて子供の親に対する転移はかなり異なる。ある意味で子供にとって親はどうでもいい存在だ。ふつうしみじみ感謝の気持ちが湧くという事はあまりない。感謝は自分と無関係な他者がわざわざ自分の為に愛情とエネルギーを注いでくれるという意外さ、畏れ多さに由来する。最初から自分の世話をすべてしてくれる存在として認識していた親に感謝の念はわくはずがない。親のしてくれたことは当たり前のことなのだ。

 そして実は親に深い恨みを持つ可能性がある。それはこの3歳ころの経験に深くつながっている。子どもは自分は自分だという感覚を持ち始める。おもちゃ売り場ではどうしても欲しいというおもちゃをつかんで離さない。気に入った長靴なら晴れの日でも履いて出たい。美味しくないブロッコリは口にいれるのもおぞましいから吐き出す。なにが悪いものか!ところが親は自分をひょいとつかみ上げて玩具売り場から無理やりに引き離す。お気に入りの長靴は力づくで脱がされる。ブロッコリは無理やり口を開けて放り込んでくる。その上「将来のあなたのためよ!」というメッセージが聞こえる。

このように書くと私自身腹が立ってくる。これほど自分の人権を無視し、物事を強要してきた存在を恨まずにいられるだろうか?