2024年1月19日金曜日

連載エッセイ 12の4

 以前「脳から見える心」(岩崎学術出版社、2013年)で各章ごとに最後に「臨床心理士へのアドバイス」という項目を設けた。これを参照して、いくつかの項目を書き直してみよう。

心理療法は右脳どうしの交流である

 脳科学的な見地から心理士に対するアドバイスはいくらでもあるが、一番の重要なものとして上げたいのがこの項目である。心理療法の基本にあるのは、両者の右脳同士の交流であるという事だ。もちろん心理療法は基本的には言葉のかわし合いにより進行するが、それは情緒的な交流の基盤の上で初めて意味を持つのである。
 皆さんはAIによる音声をお聞きになったことがあるだろう。言葉の内容は聞き取れるが、単調で機械的で感情のこもっていない印象を受けるはずだ。この発声自体は左脳の産物だが、感情的な抑揚を付加するのは右脳の機能である。(といっても最近の生成AIなら最初からあたかも感情がこもったような音声を作り出すことができるかもしれないが。)つまり言語的な交流を通して伝えあう感情自体は右脳同志のやり取りなのである。

言うまでもなくこの議論は愛着理論に発している。この連載でも何か所かで触れたことだ。母子関係は最初は言葉のない、あるいは自他の区別のない段階から右脳どうしの交流で始まる。その時点では乳児の左脳はまだ本格的な活動を開始していないからだ。ここでの愛着を通して、右脳がその機能を獲得すると、他者の気持ちを読み取り、自分の気持ちを表現し、いわゆる holding mind in mind 「心に心を取り合う(手に手を取る、という表現のもじりである)」状態が生まれる。そしてこの関係は、成長していっても何らかの意味ある対人交流においては必ず生じるのである。
 私がなじみの深い「関係精神分析」の分野では、発達理論が治療に組み込まれることはもはや常識といっていい。関係精神分析は、治療者と患者という二人の対等な(しかし役割の異なる)人間同士の情緒的な交流に重点を置く精神分析の流れであるが、そこでの関係性とは、当然母子間の関係性から連続しているものとみなされる。つまり母子間の間で成立していたはずの安定した二者関係の障害が様々な病理を生むと考えるのである。