私は臨床心理を実践する際に一番重要なこと、そして難しいことは他者の体験を聞き、理解するという事であると思う。患者の話を聞いて共感すればいい、と簡単に言うかもしれないが、人の体験を分かるという事は決して、決して容易ではない。私達は常に相手の気持ちを分かったつもりになるが、実はそうではなく、また相手もこちらに分かってもらったつもりになるが、実はこちらもわかっていない。分かってもらったはずなのにそうではないとわかると、裏切られたという気持ちになり、失望や怒りに繋がる。分かりあえていたはずの者どうしは、これ以上ないくらいに憎しみ合うこともある。
ある方が「最近家のお父さん(50代後半)がイライラしてちょっとしたことですぐ怒鳴るんです。何か仕事や家庭に不満があるのではないかと思うんですが、『そんなことない!!』とまた怒鳴るんです。」と訴えた。「もう昔の彼とは違うんです。一体どうしたんでしょう。目つきが違うんです。もう彼を信じられません。」
旦那さんは一体どうなったのだろう? トキソプラズマ症にかかっているのだろうか? 念の為に頭のCTを取ったところ異常が見つかり、結局「前頭側頭型認知症」(ピック病)という比較的珍しい種類の認知症だという事が分かったという。脳が旦那さんの心や人柄を変えていたことになる。
感染症の知見やCTスキャンによる脳の画像が得られない頃は、悪魔に魅入られたとでも思われただろう。そこには明確な「狂人」「悪者」というレッテルが張られていたことだろう。
「狂人」という事で思い出した。最近別の例でこの問題を私自身が考えさせられたことがある、菊池真理子さんの漫画「酔うと化け物になる父がつらい」は秀逸だが、彼女は父親が酒に酔うと豹変して普段の善良なその姿を変えてしまい「化け物」になる様子を克明に描いているからだ。彼女は酒を止められない父親の意志の弱さを呪う。そのために母親を自死に追い込んでしまったのだ。なんてひどい人だ、と私も考えた。
しかしふと考えると、彼女の父親は典型的なアルコール中毒の症状を呈している。彼女に必要なのは、「化け物」になった父親やその元凶となった酒を怨むことではなかった。医療機関につなげることだったのである。(もちろん普通は仕事に出て有能な会社員である場合には、それが実は容易ではないこともわかっているつもりだが。)それは明確な脳の病変に基づくもので、もはや父親自身の意志の力ではどうすることも出来なかったのだ。