2024年1月7日日曜日

家族療法 エッセイ 1

2800字の依頼エッセイ 

私は家族療法の専門家ではないが、このたび家族療法に関するエッセイの依頼を受けた。私はごく若いころに米国での精神科レジデントのトレーニングでグループ療法と家族療法の系統講義を受け、家族療法を行いつつスーパービジョンを受けるという体験を持った。それがトレーニング終了の必須科目だったからだ。そして一時はこの流れに興味を持ち、サルバドール・ミニューチンのセミナーに出席するためにネブラスカ州オマハまで赴いたことがある。当時留学中の安村直己先生と同行し、ミニューチンに頼んで取ったツーショットは今でも宝物である。あいにくそれ以降は米国でも、帰国後の日本でも家族療法としてのセッションを持ったことはない。しかし実際には患者さんの家族と接することは日常茶飯事であり、その意味では常に家族療法マインドを忘れてはいないつもりである。 私が日常的に行っている精神科の面接で家族療法的なかかわりを突き詰めて言うと、「母親問題」の対処である。私の精神科の患者さんはトラウマ関連障害(解離性障害、 PTSD、身体化障害など)を持った若い方が多いが、母親との問題を抱えている方が少なくない。私はたいてい初診時は母親に同席してもらい、時間半ばで退席を促し、患者さんの表情の変化を見る。もしリラックスし、言葉数が多くなれば、患者さんがこれまでにいかに母親の強い影響下で生活し、来談することになったかが大体わかる。そして患者さんと母親との精神的な距離をいかに適切に確保することを手助けするかは、極めて大きな意味を持つ。そしてこの問題は米国での臨床ではあまり体験しなかったことである。それはなぜだろうか。米国の母親は子供が巣立つ段階で自分とパートナーとの問題に戻る。いわば母親からまた女性に戻る、というと誤解を招くかもしれないが。