ポージスがこの腹側迷走神経を「社会神経系」と名付けたことはさらに重要な意味を持っていた。これは他者との交流は感情のやり取りであり、それは多層にわたる身体感覚や内蔵機能の働きと不可分であり、それを主として担っているのがこの神経系と考えられるからだ。つまり自己と他者が互いの気持ちを汲み、癒しを与え合い、時には怒りや憎しみをも及ぼしあう際に主として機能しているのがこの腹側迷走神経複合体というわけである。そしてこの神経複合体を、従来から知られている交感神経系や背側迷走神経系(従来考えられていた迷走神経系)との複雑な関わり合いにおいて包括的に論じるのが、このポリヴェーガル理論なのである。
このポリヴェーガル理論についてさらに解説するにあたり、近年の身体と感情についての一連の知見について概観しておく。
身体、感情、脳科学、トラウマ
私たちが頭で理論的な思考を行うという認知的な活動は、感情や知覚及び身体感覚と分離しがたい形で関与している。臨床的な場面では、うつ病などの感情障害が様々な身体症状を引き起こし、他方では認知療法などの思考によるアプローチがうつ症状や強迫症状に様々な影響を及ぼすことが知られている。またストレスやトラウマはほぼ間違いなく様々な身体症状を生むという事実も臨床的にしばしば体験されることだ。
いわゆる心身症や「身体表現性障害」(DSM-IVやICD-10までの表現)は内科などの身体科だけでも、また精神科だけでも十分に扱うことが出来ないという問題があり、最近ではMUS(医学的に説明できない障害 medically unexplained disorder、第●●章を参照) という呼び方で総称されるようになって来ている。心身相関の詳細な機序は現代の医学においてもほとんど解明されていないという現実があるのだ。